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法華寺光月亭・法華寺見どころ(修学旅行・観光)
法華寺光月亭
●法華寺光月亭は奈良県指定文化財に指定されました。
●法華寺光月亭(旧東谷家住宅)はかつて江戸時代中期に梅林で名高い奈良市東部にある月ヶ瀬(旧月ヶ瀬村)の庄屋・東谷家住宅として建てられました。その後1971年(昭和46年)に住職・久我高照(こがこうしょう)門跡が取り壊される予定であった旧東谷家住宅を境内移築し、1973年(昭和48年)に光月亭南に茶室・慶久庵(けいきゅう)が建てられ、その周辺に庭園が整備されました。
旧月ヶ瀬村は奈良県北東端に位置していました。旧月ヶ瀬村はかつて添上郡(そえかみぐん)に属していたが、2005年(平成17年)に山辺郡(やまべぐん)都祁村(つげむら)とともに奈良市へ編入されて消滅しました。旧月ヶ瀬村は標高200~300メートルの大和高原に位置し、奈良県宇陀郡御杖村にある標高約1,235メートルの三峰山(みうねやま)北麓を源とする一級河川・名張川(なばりがわ・五月川)が東西に流れ、渓谷を形成しています。旧月ヶ瀬村は大和茶の産地として知られています。また古くから月ヶ瀬尾山とその周辺に梅の木が植えられ、月ヶ瀬梅林(つきがせばいりん・月ヶ瀬梅渓)も梅の名所として知られています。
庄屋は名主(なぬし)・肝煎(きもいり)などとも言われ、組頭(くみがしら・年寄(としより))・百姓代(ひゃくしょうだい)とともに村方三役(むらかたさんやく・地方三役(じかたさんやく)に数えられ、庄屋が村政全体を代表しました。
久我高照は1921年(大正10年)8月5日に貴族院侯爵議員・久我常通(こがつねみち)の娘として京都市で生まれました。1936年(昭和11年)1月に法華寺に入り、同年11月に得度し、法隆寺103世管主(住職)・佐伯定胤(さえきじょういん)らに師事して学びました。1939年(1939年)5月22日から法華寺門跡に就任しました。また華道・法華寺小池御流の家元を務めました。なお久我高照は2011年(平成23年)10月31日に老衰の為に亡くなりました。
●法華寺光月亭は入母屋造(いりもやづくり)の茅葺(かやぶき)です。光月亭は丸みを持つ茅葺屋根で、梁や煤竹(すすだけ)の天井、そして勾玉(まがたま)型の竈(かまど)が昔ばなしのような趣を醸し出しています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
茅葺はイネ科のススキ・ヨシ(アシ)やカヤツリグサ科のスゲなどで屋根を葺く方法です。茅葺は世界各地で最も原初的な屋根とされ、日本では縄文時代に茅を使った屋根だけの住居(竪穴式住居)が造られていたとも言われています。なお日本最古の茅葺屋根民家は室町時代に建てられた兵庫県神戸市・箱木家住宅(国の重要文化財)です。
法華寺見どころ