宝幢寺本堂・宝幢寺見どころ(修学旅行・観光)

宝幢寺本堂

●宝幢寺本堂は1961年(昭和36年)3月23日に国の重要文化財に指定されました。
●宝幢寺本堂は本堂は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されました。本堂は1986年(昭和61年)に解体修理が行われ、室町時代中期の建立当初の姿に復元されました。本堂は本尊・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像を安置し、内陣の来迎壁(らいごうかべ)側面に中国絵画の影響を受けた「釈迦説法図(しゃかせっぽうず)」などが描かれています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世で六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折(ようせつ)した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原で石の塔婆を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。地蔵菩薩は大乗仏教の経典「地蔵菩薩本願経」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。なお地蔵菩薩は頭を丸め、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持っています。
お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。
●宝幢寺本堂は桁行五間・梁間五間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
宝幢寺

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