法隆寺大講堂・法隆寺見どころ(修学旅行)

●法隆寺大講堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●法隆寺大講堂は平安時代中期の990年(正暦元年)に再建されました。法隆寺大講堂はかつて北側の回廊の外に独立して建立されていたが、925年(延長3年)に鐘楼(しょうろう)とともに落雷によって焼失し、990年(正暦元年)にかつての法隆寺大講堂と同じ規模で再建され、廻廊が北側に延長されて法隆寺大講堂に取り付けられました。なお法隆寺大講堂には内陣に990年(正暦元年)の再建時に新造された木造薬師如来及び両脇侍像(国宝)と木造四天王立像(重文)を安置しています。
一般的に講堂は僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。講堂は通常、中国・唐時代の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。ちなみに講堂は禅宗寺院では法堂(はっとう)とも言われています。講堂は奈良時代に建立が始まり、鎌倉時代以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂は奈良時代に建立された唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂や平安時代に再建された法隆寺(ほうりゅうじ)の大講堂がよく知られています。講堂で講義する際には本尊を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤(らいばん)に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
木造薬師如来及び両脇侍像(国宝)は中尊の薬師如来(やくしにょらい)と脇侍の日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)から構成されています。薬師如来は像高約247.2センチ、日光菩薩・月光菩薩は像高約172.1センチで、薬師如来は左手に薬壺(やくこ)を持っています。ちなみに薬師如来は台座から光背先端まで含めた高さは4メートルに達します。
木造四天王立像(重文)は持国天(じこくてん)・増長天(ぞうじょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)から構成されています。持国天は像高約201.3センチ、増長天は像高約194.8センチ、広目天は像高約197.0センチ、多聞天は像高約204.0センチです。なお木造四天王立像は平安時代の10世紀末から11世紀前半に造仏されたとも言われています。
●法隆寺大講堂は桁行九間・梁間四間で、入母屋造の本瓦葺です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

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