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法隆寺綱封蔵・法隆寺見どころ(修学旅行・観光)
法隆寺綱封蔵
●法隆寺綱封蔵は1942年(昭和17年)12月22日に国の重要文化財、1967年(昭和42年)6月15日に国宝に指定されました。
●法隆寺綱封蔵は平安時代前期(794年~929年)に改造されたと言われています。綱封蔵は元々倉だったが、かつての綱封蔵が破損・転倒したことから綱封蔵に改造されたと言われています。法隆寺綱封蔵は双倉とも言われています。なお法隆寺にはかつて33もの蔵が建ち並んでいたと言われています。
綱封蔵はかつて正倉院(しょうそういん)と同じく、天皇の勅命(ちょくめい)によって封印された勅封の倉であったが、諸寺を管理する僧綱所(そうごうしょ)に倉の開閉が委ねられたことから綱封蔵と言われています。僧綱所は奈良時代・平安時代に僧尼を管理する僧官・僧綱(そうごう)が参集して仏教行政を行った役所です。奈良時代の722年(養老6年)に薬師寺(やくしじ)内に置かれたが、平安遷都後は東寺(とうじ)または西寺(さいじ)内に置かれました。
正倉院は当初東大寺(とうだいじ)の正倉(倉庫)として建立されました。正倉には各地から上納された米穀などの保管する倉庫という意味があるそうです。756年(天平勝宝8年)6月21日、光明皇后が夫である第45代・聖武天皇の49日の忌日に天皇遺愛の品約650点や約60種の薬物を東大寺の大仏(廬舎那仏)に冥福を祈念して奉献しました。光明皇后は自身や聖武天皇ゆかりの品を3度に渡って大仏に奉献したと言われています。
●法隆寺綱封蔵は桁行九間・梁間三間の高床で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。法隆寺綱封蔵は桁行九間・梁間三間を方三間ずつ3区に分け、南北の方三間を倉とし、中央の方三間が吹抜けになっています。法隆寺綱封蔵は内部が大梁(おおばり)上に二重梁(にじゅうばり)を組み、束(つか)で棟木(むなぎ)をうけ、化粧屋根裏(けしょうやねうら)になっています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
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