法隆寺鐘楼・法隆寺見どころ(修学旅行)

法隆寺鐘楼

●法隆寺鐘楼は1899年((明治32年)4月5日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●法隆寺鐘楼は平安時代中期の925年(延長3年)に落雷によって大講堂とともに焼失し、その後平安時代中期の1005年(寛弘2年)~1020年(寛仁4年)に経蔵の様式に倣って再建されました。鐘楼は経蔵と対称位置に建立されています。法隆寺鐘楼は奈良時代前期に鋳造された梵鐘(重要文化財)を吊るし、かつて奈良時代に建立されていたとも言われています。梵鐘は現在法隆寺の年中行事以外には撞かれないそうです。
法隆寺には西院伽藍の鐘楼以外に東院伽藍の東院鐘楼(国宝)・西円堂の鐘楼があり、俳人・歌人である正岡子規(まさおかしき)が「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺(1895年(明治28年)10月29日)」と詠んだのは西円堂の鐘楼に吊られていた梵鐘です。ただ梵鐘にはひび(罅)が入り、現在は2代目になっています。梵鐘は1日に5回(8:00・10:00・12:00・1400・16:00)に撞かれます。
経蔵は奈良時代(710年~793年)に建立されました。経蔵はかつて経典を納めていたが、現在は日本に天文学・地理学などを伝えたという百済(くだら)の僧・観勒僧正(かんろくそうじょう)像(平安時代)を安置しています。また法隆寺を再興できるほどの宝物が収められていると伝わる三伏蔵(ふくぞう)もあります。なお経蔵は桁行三間・梁間二間で、切妻造の本瓦葺です。
●法隆寺鐘楼は桁行三間・梁間二間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。法隆寺鐘楼は楼造で、2階は1階よりも平面面積が少し小さくなっています。ちなみに2階には現在床が張られていないが、かつて床が張られていました。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

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