大峰山寺本堂・大峰山寺見どころ(修学旅行・観光)

大峰山寺本堂

●大峰山寺本堂は1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定されました。
●大峰山寺本堂は内陣が江戸時代中期の1691年(元禄4年)に再建され、外陣が1706年(宝永3年)に建立されました。本堂は伝承によると7世紀末に修験道の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山(きんぷせん)で感得した蔵王権現(ざおうごんげん)を刻んで本尊とし、蔵王堂(本堂)を創建したのが起源とも言われています。その後天平年間(729年~749年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が大改築したとも言われています。本堂は創建以来度々火災で焼失し、鎌倉時代初期までは桁行・梁間が三間・四間ぐらいの規模であったとされています。戦国時代(室町時代後期)の1534年(天文3年)に一向宗(いっこうしゅう)本善寺(ほんぜんじ)の門徒に焼き討ちされ、江戸時代中期に再建されたと言われています。 1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)に解体修理が行われ、その際に発掘調査も行われ、平安時代初期には既に本堂が建立され、その後幾度か焼失したことが確認されました。本堂内陣の地下から黄金仏(純金製の仏像)2体が出土し、1体が阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像、もう1体が菩薩(ぼさつ)坐像です。黄金仏は平安時代に造られたとも言われています。
役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女の子として大和国葛城上郡茅原(奈良御所市茅原)で生まれたとも言われました。17歳で奈良・元興寺で孔雀明王の呪法を学び、、葛城山・熊野・大峰で山岳修行を続け、金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰や外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。しかし弟子・韓国連広足が役行者の能力を妬み、妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴(ざんそ)し、699年(文武3年)に伊豆島に流罪になりました。701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷・御所市茅原に戻り、6月7日に大阪・天上ヶ岳で68歳で亡くなったと言われています。
蔵王権現は正式には金剛蔵王権現・金剛蔵王菩薩とも言われています。蔵王権現はインドに起源を持たず、日本独自の山岳仏教である修験道の本尊とされています。蔵王権現は修験道の祖とされる役行者が金峯山で修行中に示現したとも言われ、役行者が創建したと言われる金峯山寺の本尊として祀られています。蔵王権現は釈迦如来・千手観音・弥勒菩薩の三尊の合体したものともされています。また蔵王権現は大己貴命・少彦名命・国常立尊・日本武尊・金山毘古命などとも習合しています。
●大峰山寺本堂は桁行八間・梁間八間で、寄棟造(よせむねづくり)の銅瓦葺(どうがわらぶき)・銅板葺(どうばんぶき)です。本堂は約23メートル・約19メートルで、棟高約13メートルです。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
銅板葺は銅を薄くした銅板で屋根を葺く方法です。銅板葺は近世に本格的に始まり、神社・霊廟などに多く用いられています。銅板葺は瓦葺に比べると自重が軽くて耐震性があり、檜皮葺・こけら葺に比べると耐久性があるとい言われています。なお765年(天平宝字9年・天平神護元年)に奈良・西大寺(さいだいじ)で銅板葺が用いられたのが最古の記録とも言われています。
大峰山寺

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