霊山寺本堂・霊山寺見どころ(修学旅行・観光)

霊山寺本堂

●霊山寺本堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。
●霊山寺本堂は棟札によると鎌倉時代後期の1283年(弘安6年)に建立されました。1942年(昭和17年)に解体修理が行われました。本堂は内陣・外陣・脇陣からなり、外陣は室内に柱がなく、天井は折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)です。内陣の天井は外陣と同様で、連子窓(れんじまど)に古材が残されています。なお本堂は春日厨子(かすがずし)内に薬師三尊(重要文化財)と言われる本尊・薬師如来(やくしにょらい)、両脇侍(きょうじ)に日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)が安置されています。厨子の左右にいずれも重要文化財である二天(持国天(じこくてん)・多聞天(たもんてん))像・十二神将(じゅうにしんしょう)像、外陣に大日如来(だいにちにょらい)坐像・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像も安置されています。更に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)・菩提僊那(ぼだいせんな)も祀られています。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
薬師如来は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の教主とされています。薬師如来は瑠璃光を以て衆生の病苦を救う如来とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。
日光菩薩・月光菩薩は薬師如来の脇侍とされ、薬師如来とともに薬師三尊を構成しています。日光菩薩は薬師如来の本願と功徳を説いた「薬師経」によると一千もの光明を発して天下を照らし、諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとされています。月光菩薩は「薬師経」によると月の光を象徴し、日光菩薩とともに薬師如来の教説を守る役割があります。
●霊山寺本堂は桁行五間・梁間六間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)一間です。本堂は鎌倉時代の和様(わよう)仏堂の代表作と言われています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
和様は鎌倉時代に中国・宋から伝わった(大仏様・禅宗様)に対して、それ以前に日本の寺院建築に用いられてきた建築様式です。ただ和様のもとになった建築様式も仏教などとともに中国から伝わっています。和様は飛鳥時代・奈良時代に中国から伝えられ、平安時代に日本で発展しました。
霊山寺

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