新薬師寺梵鐘・新薬師寺見どころ

新薬師寺梵鐘

●新薬師寺梵鐘は重要文化財です。
●新薬師寺梵鐘は奈良時代、天平時代(729年~749年)に鋳造され、元興寺(がんごうじ)の鐘楼に吊られていたと言われています。鎌倉時代に元興寺の鐘楼が焼失すると新薬師寺に移されたと言われています。新薬師寺梵鐘には周囲に無数のすり傷があり、道場法師(どうじょうほうし)の鬼退治の伝承が残されています。
道場法師は6世紀後半、敏達天皇の時代(572年~585年)に農作業をしていた農夫が落ちてきた雷の命を助けたことで強力(ごうりき)の子として尾張国に生まれました。その後元興寺(飛鳥寺)の童子となり、鐘楼堂に棲む人食い鬼(がごぜ)を退治とも言われています。元興寺の鐘楼では毎夜人食い鬼が出て人々を悩ませたことから元興寺で修行中だった強力の小僧(道場法師)が鬼を退治しようと鐘楼の上で待っていたところ夜中に人食い鬼が現れて大格闘になり、強力の小僧に勝てないとみた人食い鬼は逃げ去ったが、梵鐘に人食い鬼の爪痕が残されたと言われています。なお元興寺の北東には道場法師が人食い鬼を見失ったと言われる場所が不審ヶ辻子(ふしんがづし)という地名で残されています。
元興寺(がんごうじ)は古墳時代の588年(崇峻天皇元年)に蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を飛鳥に創建したのが起源と言われています。法興寺は地名から飛鳥寺とも言われました。710年(和銅3年)の平城京遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、寺号が法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の寺号は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来します。その後平安時代末期からの末法思想(まっぽうしそう)の流行や阿弥陀信仰(あみだしんこう)の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊(ごくらくぼう)とも言われ、発展しました。1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)に元興寺に寺号を改めました。
一般的に梵鐘は寺院で時刻や非常を告げる鐘です。梵鐘は除夜の鐘でも知られています。梵鐘は釣鐘(つりがね)・撞鐘 (つきがね) とも言われるが、大鐘(おおがね)・洪鐘(おおがね・こうしょう)・撞鐘(どうしよう)・蒲牢(ほろう)・鯨鐘(げいしょう)・巨鯨(きょげい)・華鯨(かげい)・突鐘(つきがね)・鴻鐘(こうしよう)・鳧鐘(ふしよう)・九乳(くにゆう)・青石(せいせき)・霊鐘(れいしよう)などとも言われています。梵鐘はインド(天竺)で集会の際に用いられた木製のかん稚(かんち)と中国の銅鐘に基づいて造られました。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・奈良時代成立」には562年(第29代・欽明天皇23年)に古墳時代後期の豪族・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が梵鐘を高句麗(こうくり)から日本に持ち帰ったとの記録が残っています。ただ梵鐘は現存せず、梵鐘の内面に「戊戌年(698年)筑前糟屋評(福岡市)造云々」の銘がある京都・妙心寺(みょうしんじ)の梵鐘(国宝)が日本製の最古の梵鐘です。梵鐘は銅に少量の錫(すず)・亜鉛(あえん)などを混じて鋳造されます。梵鐘は上部に鐘楼に吊るす釣り手として竜頭(りゅうず)があり、下部に一対の蓮華(れんげ)状の撞座(つきざ)を配し、これを橦木(しゅもく)で突きます。梵鐘に上帯・中帯・下帯・乳の間・乳・草の間・池の間・駒の爪などがあります。
新薬師寺見どころ

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