新薬師寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
新薬師寺の見どころは本堂・薬師如来・十二神将・おたいまつなどです。
新薬師寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには薬師如来・十二神将を祀る本堂(国宝)、平安時代に造仏された薬師如来坐像(国宝)、伐折羅大将などの十二神将立像(国宝)などがあります。また地蔵堂・おたいまつ等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 薬師如来・十二神将を祀る本堂(国宝)
- 平安時代に造仏されたと言われる本尊・薬師如来坐像(国宝)
- 伐折羅大将・毘羯羅大将などの十二神将立像(国宝)
- おたま地蔵尊を祀る地蔵堂(重要文化財)
- 1,200以上歴史があるとも言われるおたいまつ
【新薬師寺の歴史・簡単概要】
新薬師寺とは寺伝によると747年(天平19年)に第45代・聖武天皇の皇后・光明皇后が夫・聖武天皇の病気平癒の為、七仏薬師像を造仏して創建したと言われています。聖武天皇は743年(天平15年)に大仏造立の詔を発し、滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に地震や山火事が頻発し、平城京に戻って東大寺で大仏の造立を再開したが、聖武天皇は体調を崩したと言われています。聖武天皇の病気平癒の為、畿内の寺院では薬師悔過法要が命じられ、諸国に薬師仏像の造仏も命じられたと言われています。
【薬師如来・十二神将を祀る本堂(国宝)】
- 本堂の概要:本堂は十二神将立像に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。本堂は中央に本尊・薬師如来(やくしにょらい)像(国宝)、本尊を囲むように十二神将(じゅうにしんしょう)像(国宝)を土壇の上に安置しています。本堂は中央に高さ約90センチ・直径約9メートルの円形の土壇(漆喰塗りの仏壇)が築かれています。なお本堂には柱が40本あるが、全て円柱です。
- 本堂の歴史:本堂は奈良時代(710年~794年)に建立されたと言われています。本堂はかつて密教的修法を行う為のお堂だったと言われています。
- 本堂の様式:本堂は土間で、天井を張らず、内側から骨組みが見える化粧屋根裏(けしょうやねうら)になっています。本堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は正面・奥行が桁行七間・梁間五間です。
【平安時代に造仏されたと言われる本尊・薬師如来坐像(国宝)】
- 薬師如来坐像の概要:薬師如来坐像は修学旅行・観光で見逃せません。薬師如来坐像は像高約191.5センチです。頭・胴などの主要部分は一木のカヤ(栢)から彫り出され、手・足はその余材の寄木で造られています。
- 薬師如来坐像の歴史:薬師如来坐像は平安時代(794年~1185年)初期に造仏されたと言われています。1975年(昭和50年)の調査の際、平安時代初期の「法華経(ほけきょう)」が発見され、国宝の附(つけたり)になりました。
【伐折羅大将・毘羯羅大将などの十二神将立像(国宝)】
- 十二神将立像の概要:十二神将立像は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。十二神将立像は本堂内で、本尊・薬師如来坐像を囲んで安置されています。十二神将立像は薬師如来の眷属(けんぞく)で、薬師如来の世界とそれを信仰する者を守るとされています。十二神将は伐折羅大将(ばざら)・あに羅大将(あにら)・波夷羅大将(はいら)・毘羯羅大将(びぎゃら)・摩虎羅大将(まこら)・宮毘羅大将(くびら)・招杜羅大将(しょうとら)・真達羅大将(しんだら)・珊底羅大将(さんてら)・迷企羅大将(めいきら)・安底羅大将(あんてら)・因達羅大将(いんだら)から構成されています。
- 十二神将立像の歴史:十二神将立像は奈良時代(710年~794年)に造仏されたと言われています。ただ波夷羅大将は1855年(安政2年)に安政の大地震で倒壊し、1931年(昭和6年)に補作されました。十二神将立像は高円山山麓にあった岩淵寺(いわぶちでら)から移されたとも言われています。
- 十二神将立像の豆知識:伐折羅大将は500円切手のデザインに使用されました。
【天平時代に鋳造された梵鐘を釣る鐘楼(重要文化財)】
- 鐘楼の概要:鐘楼は修学旅行・観光で見逃せません。鐘楼は本堂に向かって右側にあります。鐘楼は天平時代(奈良時代(710年~794年))に鋳造された梵鐘(重要文化財)を釣っています。
- 鐘楼の歴史:鐘楼は1279年(弘安2年)に建立されたと言われています。
- 鐘楼の様式:鐘楼は袴腰(はかまごし)で、珍しい漆喰塗り(しっくいぬり)です。
【おたま地蔵尊を祀る地蔵堂(重要文化財)】
- 地蔵堂の概要:地蔵堂は修学旅行・観光で見逃せません。地蔵堂は本堂に向かって左側にあります。地蔵堂はおたま地蔵尊を安置しています。地蔵堂は十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)立像・薬師如来(やくしにょらい)立像・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像も安置しています。地蔵堂は十一面観音菩薩立像を安置していることから観音堂とも言われています。
- 地蔵堂の歴史:地蔵堂は鎌倉時代(1185年~1333年)に建立されました。
- 地蔵堂の様式:地蔵堂は一間四方の小さなお堂です。
【表門である南門(重要文化財)・東門(重要文化財)】
- 南門・東門の概要:南門(山門)は表門です。南門は基壇(きだん)は乱石積み(らんせきづみ)です。東門は本柱の上に二つに分かれた蟇股(かえるまた)を挟んでいます。
- 南門・東門の歴史:南門・東門は鎌倉時代(1185年~1333年)に建立されました。ただ東門は南門よりも古いとも言われています。
- 南門・東門の様式:南門・東門は四脚門(しきゃくもん)です。なお東門はかつて二脚の棟門(むねもん)だったと言われています。
【元興寺から移されたとも言われる梵鐘(重要文化財)】
- 梵鐘の概要:梵鐘(重要文化財)は「日本霊異記(にほんりょういき)」に記されている道場法師(どうじょうほうし)の鬼退治に登場します。道場法師は農夫の父親が落ちてきた雷を助けたことで生まれ、その後元興寺(がんごうじ・飛鳥寺(あすかでら))の童子になり、鐘楼堂に棲む人食い鬼を退治したとも言われています。
- 梵鐘の歴史:梵鐘は天平時代(奈良時代(710年~794年))に鋳造されました。梵鐘はかつて元興寺にあり、鎌倉時代(1185年~1333年)に元興寺の鐘楼が焼失した際に移されたとも言われています。
【香薬師如来を祀る香薬師堂】
- 香薬師堂の概要:香薬師堂(こうやくしどう)は1984年(昭和59年)に景清地蔵(かげきよじぞう)の胎内から発見されたおたま地蔵尊(裸形)を安置しています。
- 香薬師堂の歴史:香薬師堂はかつて香薬師如来立像を安置していたが、1943年(昭和18年)に盗難に遭ったそうです。
【1,200以上歴史があるとも言われるおたいまつ】
- おたいまつの概要:おたいまつは1,200以上歴史があるとも言われています。おたいまつは例年4月8日に行われています。おたいまつでは薬師悔過法要(やくしけかほうよう)が行われ、その後夜間になると長さ約7メートルの大松明10本と籠松明1本が僧侶を本堂まで先導し、本堂の周囲を回ります。松明の燃えた炭には無病息災のご利益があるとも言われています。
- おたいまつの歴史:おたいまつは天平時代(奈良時代(710年~794年))から行われているとも言われています。
【新薬師寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・新薬師寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ