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新薬師寺本堂・新薬師寺見どころ(修学旅行・観光)
新薬師寺本堂
●新薬師寺本堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
●新薬師寺本堂は奈良時代(710年~793年)に建立されました。新薬師寺は奈良時代の747年(天平19年)に創建され、七堂伽藍と東西2基の塔が建立され、1千人の僧が住したと言われています。しかし平安時代の落雷や台風により、主要な堂塔を失いました。かつての本堂だった金堂は平安時代中期の962年(応和2年)の暴風によって倒壊し、安置されていた仏像も失われました。そしていつの頃からか境内東側の標高が高い場所に建立されていた現在の本堂が本堂になりました。新薬師寺本堂はかつて密教的修法が行われた壇所(だんしょ)であったとも言われています。
一般的に本堂は本尊仏を安置する仏堂です。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
●新薬師寺本堂は天井を張らず、内側から骨組みが見える化粧屋根裏(けしょうやねうら)になっています。また新薬師寺本堂は土間で、本堂の中央に高さ約90センチ・直径約9メートルの円形の土壇(漆喰塗りの仏壇)が築かれ、中央に本尊・薬師如来像、本尊を囲むように十二神将像が安置されています。なお新薬師寺本堂には40本の柱があるが、全て円柱です。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。薬師如来は脇侍(きょうじ)が日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)とされ、眷属(けんぞく)である十二神将(じゅうにしんしょう)に守られています。薬師如来は現世利益を与えるとされ、飛鳥時代の680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。なお十二の大願は光明普照・随意成弁・施無尽仏・安心大乗・具戒清浄・諸根具足・除病安楽・転女得仏・安心正見・苦悩解脱・飲食安楽・美衣満足です。
●新薬師寺本堂は桁行七間・梁間五間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
新薬師寺見どころ