新薬師寺薬師如来坐像・十二神将立像・新薬師寺見どころ(修学旅行・観光)

新薬師寺薬師如来坐像・十二神将立像

●新薬師寺薬師如来坐像・十二神将立像は本堂(国宝)の高さ約90センチ・直径約9メートルの円形の土壇(漆喰塗りの仏壇)に安置されています。本尊・薬師如来坐像は中央、これを囲んで十二神将像が外向きに安置されています。
本堂は奈良時代(710年~793年)に建立されました。新薬師寺は奈良時代の747年(天平19年)に創建され、七堂伽藍と東西2基の塔が建立されていたと言われています。しかし平安時代の落雷や台風により、主要な堂塔を失いました。かつての本堂だった金堂は平安時代中期の962年(応和2年)の暴風によって倒壊し、安置されていた仏像も失われました。そしていつの頃からか境内東側の標高が高い場所に建立されていた現在の本堂が本堂になりました。
●新薬師寺薬師如来坐像は平安時代初期に造仏されたとも言われています。頭・胴などの主要部分は一木のカヤの木から彫り出され、手・足はその余材の寄木で造られています。薬師如来坐像は像高約191.5センチで、目は大きく開き、右手は恐れを取り去る印相で、左手には薬壷を持っています。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。薬師如来は脇侍(きょうじ)が日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)とされ、眷属(けんぞく)である十二神将(じゅうにしんしょう)に守られています。薬師如来は現世利益を与えるとされ、飛鳥時代の680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。なお十二の大願は光明普照・随意成弁・施無尽仏・安心大乗・具戒清浄・諸根具足・除病安楽・転女得仏・安心正見・苦悩解脱・飲食安楽・美衣満足です。
●新薬師寺十二神将立像は薬師如来の眷属(けんぞく)で、薬師如来の世界とそれを信仰する者を守るとされています。二神将立像は伐折羅大将(ばざら)・あに羅大将(あにら)・波夷羅大将(はいら)・毘羯羅大将(びぎゃら)・摩虎羅大将(まこら)・宮毘羅大将(くびら)・招杜羅大将(しょうとら)・真達羅大将(しんだら)・珊底羅大将(さんてら)・迷企羅大将(めいきら)・安底羅大将(あんてら)・因達羅大将(いんだら)です。十二神将立像は奈良時代に造仏されたとも言われています。ただ波夷羅大将は江戸時代末期の1855年(安政2年)の安政の大地震(あんせいのおおじしん)で倒壊し、1931年(昭和6年)に細谷而楽(ほそやじらく)が補作しました。十二神将立像は塑像(そぞう)です。木の骨組みに縄を巻き付け、藁を混ぜた粘土で大まかな形を造り、紙の繊維と雲母(うんも)をまぜた土で上塗りしています。眼は紺・緑・褐色のガラスの吹き玉で表現されています。十二神将立像は高さ約152~166センチで、激しい怒りを表しています。
十二神将は薬師如来の十二の大願に応じ、昼夜の十二の時、十二の月、十二の方角を守るとされ、十二支が割り当てられています。十二神将はそれぞれ7千、総計8万4千の眷属の夜叉を率い、人間の持つ煩悩の数に対応するとされています。十二神将はいずれも甲冑を身に着け、忿怒相を示し,手に武器・武具を持っています。
新薬師寺見どころ

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