宇奈多理坐高御魂神社本殿・宇奈多理坐高御魂神社見どころ

宇奈多理坐高御魂神社本殿

●宇奈多理坐高御魂神社は本殿が1908年(明治41年)4月23日に国の重要文化財に指定されました。
●宇奈多理坐高御魂神社本殿は室町時代前期(1333年~1392年)に再建されたと言われています。宇奈多理坐高御魂神社は大和朝廷(4世紀頃~7世紀頃)初期に武内宿祢が勧請して創建したとも言われています。また日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」に692年(持統天皇6年)に新羅から調(みつき)が五の社に奉ったと記され、692年(持統天皇6年)に既に祀られていたとも言われています。また「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に記され、927年(延長5年)に既に祀られていたとも言われています。なお本殿は中座に高御魂尊(たかみむすびのみこと)、東座に天太玉命(あめのふとたまのみこと)、西座に思兼命(おもいかねのみこと)を祀っています。
高御魂尊は日本最古の歴史書「古事記・712年(和銅5年)編纂」に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、「日本書紀」に高皇産霊尊と記されています。また葦原中津国平定(あしはらのなかつくにへいてい)・天孫降臨(てんそんこうりん)の際には高木神(たかぎのかみ)・高木大神(たかぎのおおかみ)とされています。高御魂尊(高御産巣日神)は「産霊(むすひ)」が生産・生成を意味し、天の生産・生成の創造神とされ、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・神産巣日神(かみむすひのかみ)とともに高天の原(たかまのはら)に最初に出現した造化の三神(ぞうかのさんしん)に数えられています。なお高御産巣日神は男神、神産巣日神は女神です。
天太玉命は「古事記」に布刀玉命、「日本書紀」に太玉命と記され、「古語拾遺」などで高御魂尊の子神と記されています。天太玉命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の岩戸隠れの際、天児屋命(あまのこやねのみこと)とともに出現を祈請しました。また瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天児屋命・天鈿女命(あまのうずめのみこと)・石凝姥命(いしこりどめのみこと)・玉祖命(たまのおやのみこと)とともに五伴緒神(いつとものおのかみ)として随従しました。天太玉命は忌部(いんべ)氏の祖先神とされています。
思兼命は「古事記」に思金神・常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)、「日本書紀」に思兼神と記され、高御魂尊の子神とされています。思兼命は天照大神の岩戸隠れの際、天の安原に集まった八百万の神に出現の為の知恵を授けたとされています。また国譲りの際、葦原中国に派遣する神を選定しました。更に瓊瓊杵尊の天孫降臨の際、瓊瓊杵尊に随従しました。
●宇奈多理坐高御魂神社は本殿が三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
宇奈多理坐高御魂神社(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

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