矢田坐久志玉比古神社八幡神社・矢田坐久志玉比古神社見どころ

矢田坐久志玉比古神社八幡神社

●矢田坐久志玉比古神社八幡神社は1908年(明治41年)4月23日に国の重要文化財に指定されました。
●矢田坐久志玉比古神社八幡神社は室町時代中期(1393年~1466年)に建立されました。矢田坐久志玉比古神社では本殿が室町時代前期(1333年~1392年)に建立されたと言われ、末社・八幡神社は更に時代が下がった室町時代中期に建立されたと言われています。八幡神社は八幡神(やはたのかみ・はちまんしん)とも言われる誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っています。
誉田別命は第15代・応神天皇(おうじんてんのう)のことです。第15代・応神天皇は第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と后・神功皇后(じんぐうこうごう)の第4皇子です。200年(仲哀天皇9年)に三韓征伐(さんかんせいばつ)の帰途に神功皇后が生んだとされています。胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とされ、かご坂皇子(かごさかのみこ)・忍熊皇子(おしくまのみこ)という異母兄達が叛乱を起こしたが、神功皇后が鎮圧して排除しました。203年(神功皇后摂政3年)に立太子し、270年(応神天皇元年)に天皇に即位しました。在位中に大和朝廷の勢力が飛躍的に発展し、巨大な陵墓が天皇の権力の強大さを示していると言われています。在位中に朝鮮半島から阿直岐 (あちき) ・弓月君 (ゆづきのきみ) ・王仁 (わに) ・阿知使主 (あちのおみ) らが渡来し、養蚕・織物・灌漑・治水技術などをもたらしました。第15代・応神天皇は310年(応神天皇41年)に111歳で崩御したとも言われています。なお第15代・応神天皇は「宋書(そうしょ)」夷蛮伝(いばんでん)に記されている倭の五王(珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ))の一人である「讃(さん)」とも言われています。「讃」は宋(中国)に朝献し、武帝から除授の詔を受けました。
八幡神は第15代・応神天皇(おうじんてんのう・誉田別命(ほんだわけのみこと))の神霊で、古墳時代の571年(第29代・欽明天皇32年)に初めて宇佐の地に示顕したとも言われています。奈良時代以降の神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも言われました。八幡神は清和源氏(せいわげんじ)・桓武平氏(かんむへいし)などの武家から武運の神(武神)として崇敬されました。また八幡神は第15代・応神天皇と同一とされ、皇祖神としても位置付けられました。なお八幡神は第15代・応神天皇の母・神功皇后と比売神(ひめがみ)ともに八幡三神とも言われています。
●矢田坐久志玉比古神社八幡神社は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。八幡神社は矢田坐久志玉比古神社の本殿と構造や手法が類似していると言われています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
矢田坐久志玉比古神社

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