興福寺中金堂ライトアップ2018/10/20~11/11(日程時間・・・)
興福寺中金堂ライトアップ
興福寺中金堂ライトアップ(日程・・・)を紹介しています。中金堂ライトアップ・夜間特別拝観はかつて興福寺伽藍の中心で最も重要な建物であった中金堂再建の落慶を記念して行われます。ちなみに中金堂では2018年10月7日~11日に落慶法要が行われ、10月20日から一般拝観が行われます。(要確認)(詳細下記参照)
【興福寺中金堂ライトアップ2018 日程時間(要確認)】
興福寺中金堂ライトアップ2018は2018年(平成30年)10月20日(土曜日)~11月11日(日曜日)17:30~20:00に行われます。(受付19:30終了)
【興福寺中金堂ライトアップ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック
【興福寺中金堂ライトアップ 歴史・簡単概要】
興福寺中金堂ライトアップ(ちゅうこんどうライトアップ)・夜間特別拝観(やかんとくべつはいか)はかつて興福寺伽藍の中心で最も重要な建物であった中金堂再建の落慶を記念して行われます。ちなみに中金堂では2018年10月7日~11日に落慶法要が行われ、10月20日から一般拝観が行われます。(要確認)なお中金堂は幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルで、創建時と同規模と言われています。中金堂の再建には日本産の木材だけでなく、カメルーンのケヤキ・カナダのヒノキも使われているそうです。
中金堂は710年(和銅3年)に建立され、1046年(永承元年)・1060年(康平3年)・1096年(嘉保3年)・1180年(治承4年)・1277年(建治3年)・1327年(嘉暦2年)・1717年(享保2年)に7度焼失し、1048年(永承3年)・1067年(治暦3年)・1103年(康和5年)・1194年(建久5年)・1,300年(正安2年)・1399年(応永6年)に6度再建され、その後1819年(文政2年)に仮金堂が建立され、2000年(平成12年)に解体されました。なお最初に建立された中金堂は桁行7間・梁行4間で、裳階(もこし)付きの寄棟造でした。中金堂は丈六釈迦如来像を中心に薬王菩薩像・薬上菩薩像と2体の11面観音菩薩像や721年(養老5年)に橘三千代(たちばなのみちよ)が夫・藤原鎌足の1周忌に造仏した弥勒浄土像などが安置されました。
●興福寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
興福寺歴史
●興福寺の見どころ(東金堂・五重塔など)を紹介しています。
興福寺見どころ
【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【興福寺中金堂ライトアップ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報