薬師寺見所ランキング|東塔など人気スポット解説

薬師寺見所ランキング|東塔・東院堂・玄奘三蔵院などの解説
薬師寺は世界遺産で、奈良を代表する人気の観光名所です。このページでは観光や修学旅行で薬師寺を訪れた際に絶対に見るべき東塔・東院堂・玄奘三蔵院などの魅力・歴史・構造・由来などを丁寧にまとめて解説します。見所ランキングは1位が東塔(国宝)、2位が東院堂(国宝)、3位が玄奘三蔵院、番外が大講堂です。(詳細下記参照)
【東塔(国宝)の見所紹介|奈良時代創建】
東塔は奈良時代前期に創建され、1,300年近い歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。薬師寺内最古の建物です。薬師寺の象徴である東塔は東寺の五重塔・興福寺の五重塔・法観寺の五重塔・醍醐寺の五重塔・仁和寺の五重塔に次ぐ日本国内で6番目に高い塔で、人気の観光スポットです。東塔は2020年(令和2年)に全面解体修理が完了して工事用柵が撤去され、近付いて拝観するのがおすすめです。近付くと日本国内で6番目に高い総高約34.1メートルの高さや蘇った美しい姿を実感できます。また東塔は1981年(昭和56年)に再建された西塔と見比べながら拝観するのもおすすめです。西塔は500年後に東塔と同じ高さになるように東塔よりも約30センチ高く再建されました。なお東塔・西塔は薬師寺(近鉄橿原線)の西側にある大池越しに眺めるのもおすすめです。天候がよければ、東側の若草山まで見ることができます。大池越しの東塔・西塔は奈良を代表する光景のひとつと言われています。
●東塔は730年(天平2年)に創建され、薬師寺内最古の建物と言われています。東塔は藤原京で建立されて移築されたのか、平城京で新築されたのかという議論があったが、2016年(平成28年)に心柱が719年(養老3年)に伐採されたことが分かり、平城京で新築された可能性が高まりました。その後地震・台風などで損傷し、度々修理されました。2009年(平成21年)から史上初の全面解体修理が開始され、2020年(令和2年)12月に完了しました。基壇の下から和同開珎(わどうかいちん)4枚が出土しました。なお東塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●東塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺(ほんがわらぶき)です。東塔は三重塔だが、各層に裳階(もこし)と言われる小さな屋根が取り付けられ、六重塔のように見えます。仏塔として他に類例のない意匠になっています。薬師寺ではかつて金堂・大講堂などの主要伽藍に裳階が付けられ、龍宮造と言われました。東洋美術史家・哲学者であるアーネスト・フェノロサは屋根・裳階が織り成す美しいバランスを「凍れる音楽」と称しました。
●東塔は仏壇の四方に江戸時代(1603年~1868年)に造仏された四仏、四隅に平安時代(794年~1185年)に造仏された四天王を安置しています。かつては仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の人生を表した釈迦八相の内、前半の四相(因相)を表した塑像(そぞう)を安置していたが、塑像の断片や木心が別に保管されています。
●西塔は1528年(享禄元年)に兵火で焼失し、1981年(昭和56年)に再建されました。西塔は東塔と同じ三間三重塔婆の本瓦葺で、各層に裳階付きです。
【東院堂(国宝)の見所紹介|吉備内親王創建】
●東院堂は鎌倉時代後期に再建され、700年以上の歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。本尊・聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)像(国宝)は飛鳥時代(710年~794年)後期または奈良時代(710年~794年)に造仏されたと言われ、1,300年~1,200年の歴史があります。東院堂は薬師寺最古の堂宇で、人気の観光スポットです。東院堂は近付いて拝観するのがおすすめです。近付いて拝観すると水害や湿気を避ける為に高くされた基檀(きだん)が分かります。建築様式は鎌倉時代から禅宗様が盛んになったが、東院堂は鎌倉時代後期の和様仏堂の好例とされ、その建築様式を感じられるかもしれません。
●東院堂は養老年間(717年~724年)に長屋王(ながやおう)の正妃・吉備内親王(きびないしんのう)が母である第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈る為に創建しました。973年(天禄4年)に焼失し、1285年(弘安8年)に再建されました。その後1733年(享保18年)に南向きから西向きに変えられました。なお東院堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財、1961年(昭和36年)4月27日に国宝に指定されました。
●東院堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺です。
●東院堂は本尊・像高約188.9センチの聖観世音菩薩像(国宝)を安置しています。聖観世音菩薩像は一般の観世音菩薩像と逆に左手を挙げ、右手を垂れています。インドのグプタ王朝の影響を受けたとも言われています。また東側に持国天、西側に広目天、南側に増長天、北側に多聞天が配され像高190センチ前後の四天王立像(重要文化財)も安置しています。
【玄奘三蔵院の見所紹介|玄奘三蔵の頂骨】
玄奘三蔵院は平成に建立され、30年ほどの歴史しかありません。玄奘三蔵院は大唐西域壁画殿に日本画家・平山郁夫(ひらやまいくお)が30年の歳月を掛けて制作した縦約2.2メートル・長さ約49メートルの大唐西域壁画(だいとうさいいきへきが)がある人気の観光スポットです。玄奘三蔵院では大唐西域壁画殿を拝観するのがおすすめです。大唐西域壁画は平山郁夫が法相宗(ほっそしゅう)の鼻祖(始祖)で、唐(中国)の訳経僧・玄奘三蔵の旅した地を実際に訪れ、その17年の旅を追体験して描きました。大唐西域壁画は7場面・13枚から構成され、中央の3面が本尊・西方浄土須弥山(さいほうじょうどしゅみせん)とされています。ちなみに平山郁夫の筆扁額「大唐西域壁画殿」も掛けられています。なお玄奘三蔵院には玄奘塔も建立されています。
●玄奘三蔵院は1991年(平成3年)に白鳳伽藍(はくほうがらん)の北側に建立されました。2000年(平成12年)に平山郁夫が唐西域壁画を献納しました。
●玄奘塔は玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)を収め、玄奘三蔵像を安置しています。頂骨は太平洋戦争(日中戦争)中の1942年(昭和17年)に中国・南京で発見され、その後全日本仏教会に分骨され、1981年(昭和56年)に埼玉県さいたま市の慈恩寺から薬師寺に分骨されました。
【大講堂の見所紹介|平成再建】
大講堂は平成に再建され、20年ほどの歴史しかありません。大講堂は正面約41メートル・奥行約20メートル・高さ約17メートルの薬師寺最大の建物で、人気の観光スポットです。大講堂は白鳳伽藍の雄大さを象徴しているとも言われています。大講堂は近付いて拝観するのがおすすめです。大講堂は金堂と食堂の間に建立され、大きさを比較することができます。
●大講堂は薬師寺創建時に建立され、その後1528年(享禄元年)に享禄の兵火で高さ約9メートル・幅約6.5メートルの本尊・阿弥陀三尊繍仏とともに焼失しました。1852年(嘉永5年)にかつての規模よりも小さく再建されたが、2003年(平成15年)の再建の際に解体されました。大講堂は1996年(平成8年)に起工式が行われ、2003年(平成15年)に再建されました。
●大講堂は像高約267センチの弥勒如来(みろくにょらい)を中心とした弥勒三尊像(重要文化財)・仏足石(国宝)・仏足跡歌碑(国宝)を安置しています。弥勒三尊像はかつて大和郡山市の植槻寺(うえつきでら)に安置され、中世に薬師寺の西院伽藍に移され、その後旧講堂の本尊として安置されていました。また弥勒三尊像は金堂に安置されている薬師三尊像(国宝)を模して造仏されたとも言われています。なお植槻寺は709年(和銅2年)に藤原不比等が創建し、奈良時代に建法寺と称していたが、その後廃寺になったそうです。植槻寺の鎮守であった植槻八幡神社が残されています。
【薬師寺見所ランキング完全ガイド 備考】
*参考・・・薬師寺(見所・アクセス・・・)ホームページ
















