吉野山と第96代・後醍醐天皇
吉野山と第96代・後醍醐天皇
吉野山では1336年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が京都を脱出して潜幸し、南朝を開きました。南朝は金峯山寺の僧坊・吉水院を行在所とし、その後金峯山寺の西側に建立されていた実城寺を皇居に定め、寺号を金輪王寺に改めました。
【吉野山桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予想】
吉野山の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・桜満開・桜見ごろ情報を発信します。
吉野山桜見ごろ
【吉野山 歴史・簡単概要】
吉野山は奈良県中央部を流れる吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈に続く約8キロメートルの山稜です。吉野山では修験道の祖である役行者・役小角が修行中に感得した蔵王権現を桜の木に自ら刻み、桜が蔵王権現の神木とされ、蔵王権現に祈願する際に桜の苗木を寄進することが風習になりました。現在、吉野山には白山桜(シロヤマザクラ)など約200種・約3万本の桜の木が植えられています。
【吉野山と第96代・後醍醐天皇】
吉野山では1336年(建武2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が京都を脱出して潜幸し、南朝を開きました。南朝の名称には古来から「南山」とも言われた金峯山(きんぷせん)の山中に朝廷が開かれたことに由来しています。南朝は金峯山寺(きんぷせんじ)の僧坊・吉水院(きっすいいん・吉水神社(よしみずじんじゃ))を行在所とし、その後金峯山寺の西側に建立されていた実城寺(じつじょうじ)を皇居に定め、寺号を金輪王寺(きんりんのうじ)に改めました。ちなみに金輪王寺は江戸時代に江戸幕府から弾圧されて寺号が没収されて直接支配され、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺になり、現在は皇居跡公園として整備され、南朝妙法殿が建てられ、南朝初代で、第96代・後醍醐天皇、南朝2代で、第97代・後村上天皇(ごむらかみてんのう)、南朝3代で、第98代・長慶天皇(ちょうけいてんのう)、南朝4代で、第99代・後亀山天皇(ごかめやまてんのう)の歌碑が建てられています。南朝設立後に後醍醐天皇は新田義貞(にったよしさだ)・恒良親王(つねよししんのう)・尊良親王(たかよししんのう)を北陸、懐良親王(かねよししんのう)を九州に派遣し、北畠親房(きたばたけちかふさ)が常陸国に赴いて、南朝勢力の結集を図ったが、新田義貞(にったよしさだ)・北畠顕家(きたばたけあきいえ)らが戦死しました。また1339年(延元4年・暦応2年)9月19日に後醍醐天皇も崩御し、塔尾山(如意輪寺本堂の裏手)に葬られました。「太平記」によると「只生々世々の妄念となるべきは朝敵を悉く亡ぼして四海を泰平ならしめんと思うばかりなり。玉骨はたとひ南山の苔に埋るとも魂魄は北闕の天を望まんと思ふ。若し命を背き義を軽んぜば君も継体の君にあらず。臣も忠烈の臣にあらじ。」という遺詔を残しました。南朝では後醍醐天皇の崩御後に北畠親房などが指揮を執るが、1348年(正平3年・貞和2年)に楠木正行(くすのきまさつら)らが戦死し、吉野も北朝に奪われて賀名生(奈良県五條市西吉野町)に移りました。ちなみに1392年(元中9年・明徳3年)に南朝4代で、第99代・後亀山天皇が北朝6代で、第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう)に三種の神器を譲って南北朝合一が成立し、56年余りの南朝の歴史は終わりました。
【第96代・後醍醐天皇】
第96代・後醍醐天皇は1288年(正応元年)11月26日に大覚寺統の第91代・後宇多天皇と五辻忠子の間に生まれ、後宇多天皇の第2皇子でした。1302年(正安4年)に親王宣下を受け、1304年(嘉元2年)に大宰府の長官・大宰帥になり、帥宮と言われました。1308年(徳治3年)に持明院統の第95代・花園天皇が即位すると皇太子になり、1318年(文保2年)に花園天皇から譲位されて第96代・後醍醐天皇に即位しました。即位後に父が院政を行ったが、1321年 (元亨元年) に父の院政を停止し、天皇の親政を始めました。吉田定房・北畠親房・万里小路宣房らの人材を集めて記録所を再興し、政治改革を始め、学問・武芸の振興に努めました。また鎌倉幕府打倒を図ったが、1324年(正中元年)の正中の変・1331年(元弘元年)の元弘の乱に失敗し、1332年(正慶元年)に隠岐に配流されました。鎌倉幕府は後醍醐天皇を廃位とし、皇太子・量仁親王を北朝初代・光厳天皇に即位させました。その後隠岐を脱出し、1333年(元弘3年)に鎌倉幕府が滅亡すると京都に戻り、建武の新政を開始しました。しかし1336年(建武2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏と対立し、京都を脱出して奈良・吉野に南朝を樹立し、南北朝時代(1336年(建武3年・延元元年)~1392年(明徳3年・元中9年))が始まりました。第96代・後醍醐天皇は1339年(延元4年・暦応2年)9月19日に退勢を挽回できず、悲運の内に50歳で吉野で崩御しました。
【吉野山と第96代・後醍醐天皇】
*奈良には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良桜見ごろ2025