龍福寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

龍福寺跡

龍福寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。龍福寺を創建した義淵僧正は第40代・天武天皇によって皇子とともに養育され、出家して元興寺で唯識・法相を修め、龍福寺など五箇龍寺を創建し、699年(文武天皇3年)に学行褒賞で稲1万束を賜り、703年(大宝3年)に僧正に任じられました。

【龍福寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県天理市滝本町483
最寄り駅・バス停・・・上滝本(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR天理駅・近鉄天理駅から奈良交通バス・針インター行き・国道針(苣原)行き
路線・時刻表・運賃チェック

【龍福寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
自由

【龍福寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
無料

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【龍福寺跡 歴史・簡単概要】
龍福寺跡(りゅうふくじあと)・竜福寺跡は奈良県天理市滝本町にあります。龍福寺はかつて桃尾山蓮華王院(もものおさんれんげおういん)龍福寺と称し、十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)像を本尊とする真言宗(しんごんしゅう)高野山派の寺院だったと言われています。龍福寺は「桃尾寺記」によると奈良時代初期の和銅年間(708年~715年)に法相宗(ほっそうしゅう)の祖・義淵(ぎえん)僧正が小堂を建立したのが起源と言われています。龍福寺はいずれも義淵僧正が創建した龍蓋寺(りゅうがいじ・岡寺(おかでら))・龍門寺(りゅうもんじ・廃絶)とともに「大和の三大名刹」・「大和三龍寺」と言われました。義淵僧正は龍泉寺・龍象寺も創建し、五箇龍寺と言われました。天平年間(729年~749年)に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が義淵僧正を慕ってこの地を訪れ、堂塔を建立したが、その後荒廃したと言われています。平安時代前期の天長年間(824年~834年)に真言宗の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が新しく堂塔を建立し、真言密教の道場に再興しました。伽藍は南北約660メートル・東西約1,100メートルなり、16の僧坊があったと言われています。明治時代に神仏分離令(しんぶつぶんりれい)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺になりました。現在は報親教大親寺(ほうしんきょうだいしんじ)が建立されました。
*参考・・・龍福寺跡(アクセス・見どころ・・・)

【龍福寺跡 見どころ・文化財】
龍福寺跡の見どころは龍福寺道にある不動明王磨崖仏です。不動明王磨崖仏は南北朝時代に彫られました。不動明王磨崖仏は岩壁に長方形の枠をとり、不動明王立像が半肉彫りされています。

【龍福寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-63-1242(天理市観光協会)

【龍福寺跡 おすすめ散策ルート】
龍福寺跡では南側に位置する桃尾の滝・石上神社を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。

【龍福寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

関連記事

奈良観光おすすめ

  1. 柳生一刀石
  2. 若草山(Mt. Wakakusa-yama)
  3. 吉野山
ページ上部へ戻る