俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)と吉野山

西行法師

俳諧師・松尾芭蕉と吉野山

吉野山では1140年(保延6年)頃に西行法師が訪れ、奥千本辺りに庵を結んで約2年余り住みました。その後1684年(貞享元年)に西行法師を敬愛する俳聖・松尾芭蕉も訪れました。松尾芭蕉は1688年(貞享5年)春にも吉野を訪れています。

【吉野山の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
吉野山の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
吉野山桜見ごろ

【吉野山 歴史・簡単概要】
吉野山は奈良県中央部を流れる吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈に続く約8キロメートルの山稜です。吉野山では修験道の祖である役行者・役小角が修行中に感得した蔵王権現を桜の木に自ら刻み、桜が蔵王権現の神木とされ、蔵王権現に祈願する際に桜の苗木を寄進することが風習になりました。現在、吉野山には白山桜(シロヤマザクラ)など約200種・約3万本の桜の木が植えられています。

【俳諧師・松尾芭蕉(まつおばしょう)】
吉野山では平安時代(794年~1185年)後期の1140年(保延6年)頃に西行法師(さいぎょうほうし)が訪れ、奥千本辺りに庵(西行庵(さいぎょうあん))を結んで約2年余り住みました。その後江戸時代(1603年~1868年)中期の1684年(貞享元年)旧暦9月に西行法師を敬愛する俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)も訪れました。1684年(貞享元年)8月に門人・苗村千里とともに江戸・深川の芭蕉庵から東海道を西に向かい、伊勢・伊賀・大和を巡り、単独で敬愛する西行法師の足跡を巡る為に奈良・吉野を訪れます。その後大垣・桑名・熱田・名古屋を経て、故郷の伊賀上野に帰郷してしばらく滞在します。翌1685年(貞享2年)春に大和(奈良)から京都に出て、江戸に戻ります。松尾芭蕉が1684年(貞享元年)に吉野山などを旅した8ヶ月の記録は芭蕉最初の紀行文「野ざらし紀行(のざらしきこう)」にまとめられ、「ひとりで吉野の奥を辿って行くと、実に山は深く、白い雲が峰々を覆い、谷を煙るように降る雨が谷を埋めるように降っている。」などと記されています。松尾芭蕉は西行法師が「とくとくと 落つる雫の 苔清水 汲み干すまでも なき住処かな」と詠んだ苔清水(こけしみず)を「露とくとく 試みに浮世 すすがばや」と詠み、句碑が傍に建立されています。また松尾芭蕉は僧坊に一夜を借りて、「碪打ちて われに聞かせよ 坊が妻」とも詠んでいます。ちなみに松尾芭蕉は1688年(貞享5年)春にも吉野を訪れ、「笈の小文」にまとめられ、「弥生三月の半ば過ぎに、何となく心が浮き立っていた。心の中に吉野の桜のことが思い出されて、西行さんの歌が浮かんだ。」と記されています。なお松尾芭蕉は西行法師の500回忌に当たる1689年(元禄2年)に「おくのほそ道」の旅に出て、西行法師や能因(のういん)らの歌枕・名所旧跡を辿りました。

●松尾芭蕉は1644年(寛永21年)に松尾与左衛門の次男として、伊賀国阿拝郡(三重県伊賀市)に生まれました。松尾家は平氏の末流で、柘植郷の土豪一族とも言われています。五人兄弟で兄一人・姉一人・妹三人です。1656年(明暦2年)に父・松尾与左衛門が亡くなると兄が家督を継ぎ、1662年(寛文2年)に藤堂家の料理人として仕え、藤堂良忠(蝉吟)とともに北村季吟に師事して俳諧を学びました。1662年(寛文2年)に詠んだ「春や来し 年や行けん 小晦日」が年代が分る1番古い俳句と言われています。1664年(寛文4年)に松江重頼撰「佐夜中山集」に初入集しました。1666年(寛文6年)に藤堂良忠が亡くなると職を辞したと言われています。その後1667年(寛文7年)の「続山井」、1669年(寛文9年)の萩野安静撰「如意宝珠」、1670年(寛文10年)の岡村正辰撰「大和巡礼」、1671年(寛文11年)の吉田友次撰「俳諧藪香物」に入集しました。1672年(寛文12年)に処女句集「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納しました。1674年(延宝2年)に北村季吟から俳諧作法書「俳諧埋木」が伝授されました。1675年(延宝3年)に江戸に上って江戸の俳人や江戸俳壇の後見と言われる磐城平藩主・内藤義概らと交流し、初めて号「桃青」を使いました。1678年(延宝6年)頃に俳諧師を生業とし、1680年(延宝8年)に深川に草庵・芭蕉庵を結んだが、1682年(天和2年)に八百屋お七の火事(天和の大火)で草庵が焼失しました。1684年(貞享元年)に「野ざらし紀行」の旅に出て、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を回りました。その後も「鹿島詣」・「笈の小文」・「更科紀行」の旅に出ました。西行法師の500回忌に当たる1689年(元禄2年)に「おくのほそ道」の旅に出て、下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前などを回りました。松尾芭蕉は1694年(元禄7年)に上方旅行の途中で大阪で亡くなりました。

【俳諧師・松尾芭蕉と吉野山】
*奈良には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
奈良桜見ごろ2025

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