宝蔵寺しだれ桜(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
宝蔵寺
宝蔵寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。宝蔵寺が属する曹洞宗(そうとうしゅう)は鎌倉時代に道元が南宋(中国)から日本に伝え、日本曹洞宗の宗祖と言われています。道元は曹洞宗の開祖・洞山良价から数えて13代目の祖師である天童如浄のもとで開悟し、1227年(安貞元年)に天童如浄の法統を継いで帰国しました
【宝蔵寺 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県吉野郡東吉野村木津58-1
最寄り駅・バス停・・・木津(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*東吉野村役場から東吉野村コミュニティバスふるさと号・小川杉谷線(予約・運休要確認)
●近鉄榛原駅からバス・東吉野村役場行き
路線・時刻表・運賃チェック
【宝蔵寺 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【宝蔵寺 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【宝蔵寺 歴史・簡単概要】
宝蔵寺(ほうぞうじ)・恵日山宝蔵寺は奈良県吉野郡東吉野村木津にあります。宝蔵寺は元々真言宗(しんごんしゅう)の寺院でったが、その後荒廃し、江戸時代前期の1667年(寛文7年)に大庄屋・仲六兵衛が檀徒とともに京都府宇治市・興聖寺(こうしょうじ)に請うって、英種を招いて曹洞宗(そうとうしゅう)に改め、興聖寺の末寺になったと言われています。その後江戸時代後期の1810年(文化7年)に秀導の尽力によって堂塔を改築し、1887年(明治20年)と1912年(明治45年)に改修が行われたと言われています。宝蔵寺には本堂の裏の墓地に明治維新の先駆けとして知られる天誅組(てんちゅうぐみ)の志士・池田謙治郎(いけだけんじろう)の墓が建立されています。墓石の裏には「吉野郡谷尻(たんじり)で文久3年旧9月25日戦死 東吉野村天誅組顕彰会建之」と記されています。天誅組は京都での政変によって排斥され、その後江戸幕府に追討され、東吉野村が天誅組の終焉の地になりました。宝蔵寺は子安延命地蔵(こやすえんめいじぞう)尊を本尊として祀っています。なお鎌倉時代前期のに1220年(承久2年)代に興福寺(こうふくじ)が開版した木版折本の大般若波羅蜜多経(だいはんにゃはらみったきょう)600巻が奈良県の文化財に指定されています。
宝蔵寺は曹洞宗の寺院です。
*参考・・・宝蔵寺(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【宝蔵寺 見どころ・文化財】
宝蔵寺の見どころはしだれ桜(東吉野村の天然記念物)です。しだれ桜は樹齢430年とも言われるエドヒガン(えどひがん)で、樹高約10メートル・幹周約3.63メートル・枝張り東西南北約10メートルです。樹齢50年とも言われる二世桜も植えられています。しだれ桜は例年4月中旬頃から4月下旬頃に見ごろを迎え、可憐な薄紅色の花を咲かせます。ちなみに宝蔵寺では安土桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が京都・醍醐寺(だいごじ)で醍醐の花見を行った際、宝蔵寺からしだれ桜を取り寄せたと言われています。しだれ桜は2011年(平成23年)に放送されたNHKの番組「秀吉の愛した桜-醍醐の花見物語」で行われたDNA解析の結果、醍醐寺のしだれ桜と近縁であることが分かったそうです。なお俳人・能村登四郎(のむらとしろう)が「霊地にて 天降るしだれ ざくらかな」と詠んだ句碑が建てられています。
●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ
【宝蔵寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0746-42-0441(東吉野村役場)
【宝蔵寺 おすすめ散策ルート】
宝蔵寺では西側にある八坂神社を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【宝蔵寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。