東大寺お水取りお水送り2025/3/2(日程時間・・・)

東大寺お水取りお水送り

東大寺お水取りお水送り(日程・・・)を紹介しています。お水送りは例年3月2日に福井県小浜市の若狭神宮寺・鵜の瀬で行われ、10日後の3月12日に東大寺二月堂前の閼伽井屋・若狭井から湧き出すと言われています。3月12日の深夜に若狭井からお香水が汲み上げられ、二月堂の本尊に供えられ、お水取りの名称の由来になっています。(詳細下記参照)

【東大寺お水取りお水送り2025 日程時間(要確認)】
東大寺お水送り2025は2025年(令和7年)3月2日(日曜日)に行われ、10日後の3月12日(水曜日)に東大寺二月堂の閼伽井屋・若狭井(わかさい)から湧き出すと言われています。(現在確認中・要注意)
*参考・・・お水送り

【東大寺お水取りお水送り アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市雑司町406-1
最寄り駅・バス停・・・東大寺大仏殿・春日大社前(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス

*近鉄奈良駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【東大寺お水取りお水送り 歴史・簡単概要】
東大寺お水取りお水送り(おみずおくり)は例年3月2日に福井県小浜市の若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)・遠敷川(おにゅうがわ)鵜の瀬(うのせ)で行われ、10日後の3月12日に東大寺二月堂前の閼伽井屋(あかいや)・若狭井(わかさい)から湧き出すと言われています。3月12日の深夜に若狭井からお香水(おこうずい)が汲み上げられて、二月堂の本尊に供えられ、お水取りの名称の由来になっています。
お水送りでは山八神事(やまはちしんじ)・修二会(しゅにえ)法華懺法(ほっけせんぼう)・弓打ち神事・奉納弓射大会・修二会薬師悔過法(やくしけかほう)・修二会達陀(だったん)・神宮寺大護摩法要(おおごまほうよう)・松明行列・鵜の瀬の大護摩供・送水神事・立ち直会などが行われます。
●山八神事では赤土にお神酒を注いで練り、柱に「山」と「八」の字を牛王杖(ごおうつえ)で書き、天下泰平・五穀豊穣・万民安楽を祈願します。
●修二会法華懺法では「法華経(ほっけきょう)」により、諸仏・諸神を勧請して罪を懺悔し、諸仏・諸神の加護と大慈悲を祈願します。
●弓打ち神事では2本の除魔矢を放って怨霊魔事を退散させ、その後四方祓いの射儀式が行われます。
●奉納弓射大会では弓道諸家が参加し、魔を祓う弓射大会が行われます。
●修二会薬師悔過法は諸神を招き、薬師如来(やくしにょらい・遠敷明神(おにゅうみょうじん))を本尊とする神仏混淆(しんぶつこんこう)の悔過(けか)行法です。閼伽水(あかすい・聖水)を無上の御香水に変じ、罪障を滅して天下泰平・諸人安穏・五穀豊穣のご利益があると言われています。
●修二会達陀では八天(火天・水天・芥子天・楊枝天・鈴天・太刀天・法螺天)が影向(ようごう)し、火天が達陀松明を振って魔を祓い、水天が香水を散じて浄めます。
●神宮寺大護摩法要では護摩壇(ごまだん)を中心に修験者(しゅげんじゃ)が斧の儀・法弓大事・宝剣大事を行い、水師が願文奉上を行い、達陀の火で大護摩法要が行われます。
●松明行列では加持された御香水を守り、大護摩の火で灯された大・中・手松明千数百本の松明行列が神宮寺から約1.8キロ上流の遠敷川鵜の瀬まで巡行します。
●鵜の瀬の大護摩供では松明の火が護摩壇に移され、諸仏・諸神を勧請して行会の満行や参拝者の諸願の込められた松明を焚き上げます。
●送水神事では水師が送水文(そうすいもん)を奉上し、水切り神事が行われ、筒から御香水が鵜の瀬に注がれ、送水神事が行われます。
●立ち直会では参拝者などにお神酒が授与されます。

若狭神宮寺は奈良時代初期の714年(和銅7年)に第44代・元正天皇の勅願により、泰澄大師の弟子・沙門滑元が若狭国一の宮・若狭彦神社の神願寺として創建したと言われています。なお若狭彦神社は社伝によると714年(和銅7年)9月10日に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が示現した白石の里に上社(若狭彦神社)が創建され、翌715年(霊亀元年)9月10日に現在の場所に移されたと言われています。下社(若狭姫神社(わかさひめじんじゃ))は721年(養老5年)2月10日に上社(若狭彦神社)から分霊を勧請して祀られたと言われています。
遠敷川は滋賀県高島市と福井県小浜市の境にある標高約931.3メートルの百里ヶ岳(ひゃくりがだけ)を源とし、中流の鵜の瀬を通り、松永川と合流し北川へ注ぐ一級河川です。
お水取りは正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。お水取りでは二月堂の本尊・大観音と小観音に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井から汲み上げたお香水を供えたことに由来します。
東大寺お水取り2025

●東大寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
東大寺歴史
●東大寺の見どころ(大仏・大仏殿など)を紹介しています。
東大寺見どころ

【東大寺 歴史・簡単概要】
東大寺(とうだいじ)は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(きんしょうせんじ・金鍾寺(きんしょうじ)が起源と言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生したが、728年(神亀5年)9月13日に亡くなり、同年11月に金鍾山寺が建立されました。その後741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。その後743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発し、当初滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に都が平城京に戻ると東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)を導師として、大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。752年(天平勝宝4年)からお水取り(修二会・お松明)も始まりました。
*参考・・・奈良世界遺産・東大寺・お水取り(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【東大寺お水取りお水送り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺お水取り2025日程

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