東大寺の歴史は聖武天皇の子・基皇子の菩提を追修する山房が起源

東大寺

東大寺の時代別年表と重要人物

東大寺は728年(神亀5年)に聖武天皇と光明皇后が基皇子の菩提を追修する為、良弁ら9人の僧を住まわせた山房(金鍾寺)が起源です。その後国分寺・国分尼寺建立の詔が発せられ、金鍾寺が大和国分寺になりました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

東大寺見どころ

【東大寺が建立されている場所】

  • 東大寺が建立されている場所には金鐘寺(こんしゅじ)・福寿寺(ふくじゅじ)・天地院(てんちん・法蓮寺(ほっけじ))などの寺院が建立されていたとも言われています。金鐘寺は金鐘山房・金鍾寺・金鷲寺・金熟寺などと記されました。

【東大寺の起源・始まり】

  • 東大寺は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)と光明皇后(こうみょうこうごう)の間に生まれた皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提(ぼだい)を追修する為、山房が建てられ、東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の僧が住したのが起源とも言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生するが、翌728年(神亀5年)9月13日に亡くなりました。

【奈良時代(710年頃~794年頃)の出来事】

  • 741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔(みことのり)が発せられ、翌742年(天平14年)に金鍾寺が大和国分寺になり、名称を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。
  • 743年(天平15年)に大仏造立の詔が発せられ、滋賀甲賀市信楽町・紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏の造立が開始されました。
  • 745年(天平17年)に都が恭仁京(くにきょう)から平城京(へいじょうきょう)に戻され、東大寺で大仏の造立が開始されました。
  • 752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)を導師として、大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が行われました。
  • 752年(天平勝宝4年)に実忠(じっちゅう)がお水取り(修二会・お松明)を始め、以来一度も途切れることなく続けられています。
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  • 755年(天平勝宝7年)に戒壇院(かいだんいん)が建立されました。
  • 758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。大仏殿は大仏の造立が完了してから建立が開始されました。
  • 奈良時代には東大寺に大仏殿・講堂・中門・南大門・東西2基の七重塔などの伽藍が立ち並んでいたと言われています。
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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

  • 平安時代前期に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が造東大寺所を廃止しました。
  • 836年(承和3年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が東大寺に真言院を建立しました。
  • 855年(斉衡2年)に大仏の頭部が落下し、同年に真如法親王が修理しました。
  • 934年(承平4年)に西塔が落雷で焼失し、1000年(長保2年)の再建中に再び焼失しました。
  • >962年(応和2年)に南大門が倒壊しました。
  • 1180年(治承4年)に平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちにより、大仏殿が焼失し、大仏は台座や下半身の一部を残して焼けました。東大寺では伽藍の大半が焼失しました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

  • 1185年(文治元年)に大仏の開眼供養が行われました。1190年(建久元年)に大仏殿が上棟式し、1195年(建久6年)に落慶供養が行われました。大仏の再鋳造・大仏殿の再建などは大勧進職・俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の協力を得て行いました。
  • 1199年(正治元年)に南大門が再建され、1203年(建仁3年)に仁王(におう)像が完成したと言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

  • 1362年(正平17年・康安2年)に東塔が落雷で焼失しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

  • 1446年(文安3年)に戒壇院が焼失しました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事】

  • 1508年(永正5年)に講堂が焼失しました。
  • 1567年(永禄10年)に松永・三好の合戦により、大仏殿が再び焼失し、大仏も再び焼けました。二月堂・法華堂・正倉院・鐘楼・西大門・転害門などを残し、東大寺の伽藍の多くを焼失しました。
  • 1568年(永禄11年)から絵師・山田道安(やまだどうあん)が大仏の修復を開始しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

  • 1583年(天正11年)に西大門が倒壊しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

  • 1606年(慶長11年)に中御門が焼失しました。
  • 1667年(寛文7年)に二月堂がお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。
  • 1690年(元禄3年)に大仏の頭部が再鋳造され、1692年(元禄5年)に開眼供養が行われました。
  • 1709年(宝永6年)に大仏殿が落慶しました。大仏の再鋳造・大仏殿の再建は公慶上人(こうけいしょうにん)が江戸幕府の許可を得て行いました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

  • 1883年(明治16年)に華厳宗として独立しました。
  • 1915年(大正4年)に大仏殿の修理が完了して落慶供養が行われました。
  • 1973年(昭和48年)に昭和の大修理が開始され、1980年(昭和55年)に完了しました。
  • 1998年(平成10年)に東大寺はユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)に登録されました。

【東大寺の開基とされる第45代・聖武天皇】

第45代・聖武天皇は701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・宮子の間に第1皇子として生まれ、724年(神亀元年)に天皇に即位し、その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ)を非皇族初の皇后にしました。聖武天皇は仏教に深く帰依し、国分寺・国分尼寺建立の詔や大仏造立の詔を発し、749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(第46代・孝謙天皇)に譲位して出家し、756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。ちなみに聖武天皇は生前譲位した初の男性天皇とされています。

【東大寺 備考】
*参考・・・東大寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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