東大寺お水取りとお松明・童子(どうじ)

東大寺お水取りとお松明・童子

東大寺お水取りとお松明・童子を紹介しています。お水取りは正式名称を十一面悔過と言うが、お松明(おたいまつ)・修二会(しゅにえ)とも言われています。お松明は火の粉を浴びると健康になったり、幸せになったりするご利益があるとも言われています。またお松明の燃えかすは護符にされることもあるそうです。(詳細下記参照)

【東大寺お水取り2025 日程時間(要確認)】
東大寺お水取り2025は2025年(令和7年)3月1日(土曜日)~14日(金曜日)に行われます。なおお松明は19:00から行われます。ただ12日(水曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。
東大寺お水取り2025日程

【東大寺お水取り 基礎知識】
東大寺お水取り(おみずとり)・修二会(しゅにえ)・お松明(おたいまつ)は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂(国宝)の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
東大寺お水取り2025

【お松明・童子】
お松明の名称は二月堂で本行を行う10人または11人の練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、練行衆の付き人である童子(どうじ)が持つ大松明に火が灯されることに由来しています。お水取りは火の行とも言われています。
お水取りは例年3月1日から14日まで行われます。毎夜19:00(12日19:30・14日18:30)に大鐘が撞かれると童子が担ぐ大松明に火が灯されます。大松明は長さ約6~8メートル・重さ約40キロだが、12日は長さ約8メートル・重さ約70キロの籠松明が用いられます。12日以外の大松明は10本だが、12日の籠松明は11本になります。12日以外は二月堂の掃除や準備などを行う処世界と言われる練行衆が準備の為に早く二月堂に上堂していることから10本だが、12日は全員である11人の練行衆が上堂する為に11本になります。大松明・籠松明は杉の葉やヘギ・杉の薄板などでつくった直径約1メートルのかご状の松明を長さ約6~8メートルの竹の先端に付けたものです。ちなみに松明は室町時代の絵によると50センチほどで、現在のチョロ松明程度だったが、江戸時代に徐々に大きくなり、東大寺から童子に禁制が出されたこともあったが、童子が見せ場を願って現在の大きさになったとも言われています。竹は奈良県奈良市内縁家による仁伸会・奈良県生駒市高山地区の庄田松明講・京都市京田辺市の山城松明講、檜(ひのき)は三重県名張市の伊賀一ノ井松明講、フジヅルは滋賀県甲賀市の江州紫香楽一心講が寄進しています。竹はかつて奈良に通じる街道筋に置いておくと東大寺の信徒・村人・旅人などがリレーのバトンのように順番に東大寺二月堂まで運んでいました。竹など東大寺で必要なものはどんな馬よりも早く届くとも言われていたそうです。ちなみに京田辺市(田辺町)でも運んでいたが、太平洋戦争や1953年(昭和28年)の風水害によって途絶え、1978年(昭和53年)から山城松明講が担当し、現在京田辺市普賢寺下大門13に建立されている大御堂観音寺(おおみどうかんのんじ・普賢寺(ふげんじ))付近の竹林から竹を切り出して東大寺二月堂に運んでいます。なお名張市はかつて大部分が東大寺最大の荘園・黒田庄だったこともあり、伊賀一ノ井松明講は770年以上の歴史を持っているそうです。
童子はお水取りに携わる11人の僧侶・練行衆に付く身の回りの世話役です。また童子は大松明・籠松明なども手作りでつくります。童子はお松明の際に約40~70キロの大松明・籠松明を担ぎ、練行衆を二月堂まで先導し、次に大松明・籠松明を欄干に突き出し、大きく振り回し、勢いよく駆け抜けます。童子は練行衆が二月堂から下堂する際に手松明も持ちます。なお童子は東大寺の職員などがなり、50年以上童子を勤めた職員もいるそうです。

【東大寺お水取りとお松明・童子】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺見どころ

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