春日大社流鏑馬奉納2016/11/20(日程時間・・・)

流鏑馬奉納

流鏑馬奉納は正遷宮の奉祝行事として行われます。流流鏑馬奉納は一之鳥居からお旅所(おたびしょ)までの参道で奉納されます。なお流鏑馬奉納では鎌倉幕府初代将軍・源頼朝と江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって考案された式法が奉納されます。

【流鏑馬奉納2016 日程時間(要確認)】
流鏑馬奉納2016は2016年(平成28年)11月20日(日曜日)13:00から行われます。

【流鏑馬奉納・春日大社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市春日野町160
最寄り駅・バス停・・・春日大社本殿(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からは奈良交通バス・春日大社本殿行き

*奈良交通バス・市内循環外回りの場合、春日大社表参道(徒歩約10分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【流鏑馬奉納 歴史・簡単概要】
春日大社流鏑馬奉納(やぶさめほうのう)は正遷宮を奉祝し、小笠原流によって行われます。流鏑馬奉納は一之鳥居からお旅所(おたびしょ)までの参道で奉納されます。なお流鏑馬奉納では鎌倉幕府初代将軍・源頼朝と江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって考案された式法が奉納されます。
流鏑馬は矢継ぎ早に鏑矢(かぶらや)で射ることから流鏑馬と言われるそうです。また流鏑馬は矢馳馬(やはせむま)が転訛したものとも言われているそうです。なお流鏑馬は「日本書紀」に682年(天武天皇9年)の馬的射(むまゆみいさせ)が記され、平安時代には宮廷行事として行われていました。ちなみに武士の時代、流鏑馬は犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)とともに騎射三物(きしやみつもの)と言われていました。
小笠原流は室町幕府奉公衆・京都小笠原氏による武家故実・弓術・馬術・礼法の流派です。弓術・馬術は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の家臣・小笠原長清(おがさわらながきよ)によって創始され、孫・小笠原貞宗(おがさわらさだむね)が大成させました。礼法は室町幕府3代将軍・足利義満を指南した小笠原長秀(おがさわらながひで)が定め、礼法書「三議一統(さんぎいつとう)」を記しました。

【春日大社 歴史・簡単概要】
春日大社(かすがたいしゃ)は社伝によると約1,300年前に常陸国・鹿島神宮の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮の経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。ちなみに春日大社の例祭・春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社・下鴨神社))の葵祭・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭と合わせて、三大勅祭に数えられました。1135年(保延元年)に若宮神社が建立され、翌1136年(保延2年)に春日若宮おん祭が始まりました。春日大社は藤原氏の氏寺だった興福寺(こうふくじ)と関係が深く、興福寺が実権を握っていた時期もありました。なお春日大社は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
*参考・・・奈良世界遺産・春日大社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【流鏑馬奉納 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・春日大社基本情報
春日若宮おん祭2024日程

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