興福寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

興福寺(Kofuku-ji Temple)

興福寺の見所ランキング紹介

興福寺の見所ランキングを紹介します。見所ランキングは1位が室町時代に再建された五重塔(国宝)、2位が室町時代に再建された東金堂(国宝)、3位が2018年(平成30年)に再建された中金堂です。番外は北円堂です。(詳細下記参照)

興福寺見どころ一覧

【室町時代に再建され、600年近い歴史がある五重塔(国宝)】

五重塔(6代目)は室町時代中期に再建され、その後焼失などを免れたことから600年近い歴史があります。五重塔は高さ約50.1メートルで、高さ約54.8メートルの京都・東寺の五重塔に次いで、日本国内で2番目の高い五重塔です。五重塔は興福寺だけでなく、古都奈良のシンボルになっています。五重塔は柵に囲まれているが、その手前まで近付くことができ、間近に近づくと高さ・存在感を実感することができます。五重塔は興福寺が放生会(ほうじょうえ)を行う為の放生池として造られた猿沢池(さるさわのいけ)越しに眺めるのもおすすめです。猿沢池越しの五重塔は奈良を代表する眺望になっています。猿沢池にはベンチもあり、じっくり、のんびり眺めるのもいいかもしれません。ちなみに興福寺には三重塔も建立され、三重塔も一緒に眺めるのもおすすめです。なお五重塔は毎日22:00頃までライトアップされ、夜間に眺めるのもおすすめです。(要確認)
●歴史-五重塔は730年(天平2年)に興福寺開基・藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘で、第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の后である光明皇后(こうみょうこうごう)が創建しました。当初の五重塔は高さ約45メートルで、日本国内で最も高い塔だったとも言われています。その後5度被災し、1426年(応永33年)頃に再建されました。なお五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●仏像-五重塔はお釈迦生の仏舎利(ぶっしゃり)を納める仏塔で、初層の四方に薬師(やくし)三尊像・釈迦(しゃか)三尊像・阿弥陀(あみだ)三尊像・弥勒(みろく)三尊像を安置しています。

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【室町時代に再建され、600年以上の歴史がある東金堂(国宝)】

東金堂(5代目)は室町時代中期に再建され、その後焼失などを免れたことから600年以上の歴史があります。本尊・薬師三尊像も同時期に再造されました。東金堂は五重塔と同様に柵に囲まれているが、その手前まで近付くことができ、近付いて眺めるのがおすすめです。東金堂は正面約25.6メートル(桁行七間)・側面約14.1メートル(梁間四間)もあります。なお興福寺ではかつて北円堂と南円堂の間に西金堂も建立され、対になっていました。
●歴史-東金堂は726年(神亀3年)に第45代・聖武天皇が叔母で、元正上皇(第44代・元正天皇(げんしょうてんのう))の病気平癒を祈願する為に創建しました。病気を治癒して寿命を延ばすご利益があり、大医王(だいいおう)・医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する薬師如来(やくしにょらい)が安置されました。その後5度の被災と再建を繰り返し、1415年(応永22年)に再建されました。なお東金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●仏像-東金堂は本尊・像高約255.0センチの銅造薬師如来坐像、脇侍に像高約300.3センチの日光菩薩(にっこうぼさつ)・像高約298.0センチの月光菩薩(がっこうぼさつ)を安置しています。また像高約94.0センチの木造文殊菩薩坐像・像高約88.1センチの木造維摩居士坐像・像高約153.0~164.0センチの木造四天王立像(持国天像・増長天像・広目天像・多聞天像)・像高約113.0~126.6センチの木造十二神将立像(毘羯羅大将像・招杜羅大将像・真達羅大将像・摩虎羅大将像・波夷羅大将像・因達羅大将像・珊底羅大将像・あに羅大将像・安底羅大将像・迷企羅大将像・伐折羅大将像・宮毘羅大将像も安置しています。

【2018年(平成30年)に再建された9代目の中金堂】

中金堂は近年に再建された9代目です。中金堂は幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルあり、境内で一番大きな建物です。中金堂も柵に囲まれているが、ある程度まで近付くことができ、近付くとその大きさ・存在感を実感できます。中金堂南側には一段高くなっている南大門跡があり、その上から眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。南大門跡は絶好の撮影スポットです。
●歴史-中金堂は710年(和銅3年)に建立されました。その後7度焼失し、6度再建され、1819年(文政2年)に仮金堂が建立され、2000年(平成12年)に仮金堂が解体されました。中金堂は2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われました。落慶を記念してライトアップ・夜間特別拝観も行われました。なお中金堂には国内産の木材さけでなく、カメルーン産のアパ(アフリカ欅)・カナダ産のイエローシーダー(アメリカヒバ)も使われています。
●仏像-中金堂は本尊・像高約283.9センチの木造釈迦如来(しゃかにょらい)坐像、両脇に像高約362.0センチの木造薬王菩薩(やくおうぼさつ)立像・像高約360.0センチの木造薬上菩薩(やくじょうぼさつ)立像を安置しています。また像高約64.3センチの木造吉祥天倚像(高さ約102.0センチの厨子入り)・像高約93.8センチの木造大黒天立像・像高約197.2~206.6センチの木造四天王立像(持国天像・増長天像・広目天像・多聞天像)も安置しています。

【鎌倉時代に再建され、800年以上の歴史がある北円堂(国宝)】

北円堂(3代目)は鎌倉時代前期に再建され、その後焼失などを免れたことから800年以上の歴史があります。本尊・弥勒如来(みろくにょらい)像も同時期に造仏されました。北円堂はかつて西側に広がっていた平城京を一望することができた境内西隅に建立されています。北円堂は平城京造営を推進した興福寺開基・藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に創建され、藤原不比等の霊を慰める最良の場所と言われています。興福寺では五重塔・東金堂・南円堂・中金堂と異なり、見逃しやすいが、見逃さずに拝観しましょう。北円堂は法隆寺の夢殿(国宝)と同じ八角円堂で、八角一面が約4.9メートル、対面径が約11.7メートルになります。ちなみに北円堂は通常内部が非公開だが、春と秋に一般公開されることもあります。なお北円堂に安置されている像高約141.9センチの本尊・弥勒如来像には台座内枠に源慶(げんけい)・静慶(じょうけい)・運賀(うんが)・運助(うんじょ)・運覚(うんかく)・湛慶(たんけい)・康弁(こうべん)・慶運(けいうん)・康勝(こうしょう)など慶派仏師の墨書があり、奈良仏師・慶派を率いた運慶(うんけい)晩年の名作と言われています。
●歴史-北円堂は1210年(承元4年)頃に再建されました。境内で最古の建物とも言われています。北円堂は721年(養老5年)に第44代・元正天皇とその母である元明上皇(第43代・元明天皇(げんめいてんのう))が藤原不比等の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて創建し、同年8月3日に完成したと言われるが、その後1180年(治承4年)に焼失しました。なお北円堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●仏像-北円堂は本尊・弥勒如来像(国宝)や無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像・世親菩薩(せしんぼさつ)立像・四天王(してんのう)立像などを安置しています。

【興福寺見所 備考】
*参考・・・興福寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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