興福寺見所ランキング|五重塔など人気スポット解説

興福寺見所ランキング|五重塔・東金堂・中金堂などの解説
興福寺は世界遺産で、奈良を代表する人気の観光名所です。このページでは観光や修学旅行で興福寺を訪れた際に絶対に見るべき五重塔・東金堂・中金堂などの魅力・歴史・構造・由来などを丁寧にまとめて解説します。見所ランキングは1位が五重塔(国宝)、2位が東金堂(国宝)、3位が中金堂、番外が北円堂です。(詳細下記参照)
【五重塔(国宝)の見所紹介|光明皇后創建】
●五重塔は2025年(令和7年)3月に素屋根が完成し、2034年3月に大規模修理が完了予定です。
五重塔(6代目)は室町時代中期に再建され、600年近い歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。五重塔は京都・東寺の五重塔に次ぐ日本国内で2番目の高い五重塔で、人気の観光スポットです。五重塔は高さ約50.1メートルで、興福寺だけでなく、古都奈良のシンボルになっています。五重塔は柵に囲まれているが、近付くて拝観するのがおすすめです。近付くと高さ・存在感を実感することができます。また興福寺が放生会(ほうじょうえ)を行う為の放生池として造った猿沢池(さるさわのいけ)越しに眺めるのもおすすめです。猿沢池越しの五重塔は奈良を代表する眺望になっています。猿沢池にはベンチがあり、じっくり、のんびり眺めるのもいいかもしれません。なお五重塔は毎日22:00頃までライトアップされ、夜間に眺めるのもおすすめです。(要確認)
●五重塔は730年(天平2年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の后で、興福寺開基・藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘だった光明皇后(こうみょうこうごう)が創建しました。五重塔は高さ約45メートルで、日本国内で最も高い塔だったとも言われています。その後1017年(寛仁元年)・1046年(永承元年)・1181年(治承4年)・1356年(文和5年)・1411年(応永18年)の5度焼失し、1031年(長元4年)に2代目・1078年(承暦2年)に3代目・1205年(元久2年)に4代目・1375年(永和元年)に5代目が再建されました。五重塔(6代目)は1426年(応永33年)頃に再建されました。なお五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
●五重塔はお釈迦生の仏舎利(ぶっしゃり)を納める仏塔で、初層の四方に薬師(やくし)三尊像・釈迦(しゃか)三尊像・阿弥陀(あみだ)三尊像・弥勒(みろく)三尊像を安置しています。
【東金堂(国宝)の見所紹介|聖武天皇創建】
東金堂(5代目)は室町時代中期に再建され、600年以上の歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。本尊・薬師三尊像も同時期に再造され、600年以上の歴史があります。東金堂は西国薬師四十九霊場の第4番札所で、人気の観光スポットです。東金堂は柵に囲まれているが、近付くて拝観するのがおすすめです。近付くと正面約25.6メートル・側面約14.1メートルの大きさを実感できます。周りを一周することもできます。なお興福寺ではかつて北円堂と南円堂の間に西金堂も建立され、対になっていました。
●東金堂は726年(神亀3年)に第45代・聖武天皇が叔母で、元正上皇(第44代・元正天皇(げんしょうてんのう))の病気平癒を祈願する為に創建しました。病気が治癒して寿命を延ばすご利益があり、大医王(だいいおう)・医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する薬師如来(やくしにょらい)が安置されました。その後1017年(寛仁元年)・1046年(永承元年)・1356年(文和5年)・1411年(応永18年)の4度焼失し、1031年(長元4年)に2代目、1185年(元暦2年)に3代目、1368年(応安元年)に4代目が再建されました。東金堂(5代目)は1415年(応永22年)に再建されました。なお東金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●東金堂は天平(てんぴょう)様式で、屋根は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺です。
●東金堂は本尊・像高約255.0センチの銅造薬師如来坐像、脇侍に像高約300.3センチの日光菩薩(にっこうぼさつ)・像高約298.0センチの月光菩薩(がっこうぼさつ)を安置しています。また像高約94.0センチの木造文殊菩薩坐像・像高約88.1センチの木造維摩居士坐像・像高約153.0~164.0センチの木造四天王立像(持国天・増長天・広目天・多聞天)・像高約113.0~126.6センチの木造十二神将立像(毘羯羅大将・招杜羅大将・真達羅大将・摩虎羅大将・波夷羅大将・因達羅大将・珊底羅大将・あに羅大将・安底羅大将・迷企羅大将・伐折羅大将・宮毘羅大将も安置しています。
【中金堂の見所紹介|2018年(平成30年)再建】
中金堂(9代目)は近年に再建されました。中金堂は興福寺境内で一番大きな建物で、人気の観光スポットです。中金堂は柵に囲まれているが、近付くて拝観するのがおすすめです。近付くと幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルの大きさ・存在感を実感できます。中金堂南側には一段高くなっている南大門跡があり、その上から眺めたり、写真撮影したりするのがおすすめです。南大門跡は絶好の撮影スポットです。
●中金堂は710年(和銅3年)に藤原不比等が創建しました。その後1046年(永承元年)・1060年(康平3年)・1096年(嘉保3年)・1181年(治承4年)・1277年(建治3年)・1327年(嘉暦2年)・1717年(享保2年)の7度焼失し、1048年(永承3年)に2代目、1067年(治暦3年)に3代目、1103年(康和5年)に4代目、1194年(建久5年)に5代目、1300年(正安2年)に6代目、1347年(貞和3年)に7代目、1819年(文政2年)に8代目が再建されました。2000年(平成12年)に8代目が解体されました。中金堂は2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われ、落慶を記念してライトアップ・夜間特別拝観も行われました。
●中金堂は屋根が寄棟造の本瓦葺で、二階建てに見える一重もこし(裳階)付きです。中金堂には国内産の木材さけでなく、カメルーン産のアパ(アフリカ欅)・カナダ産のイエローシーダー(アメリカヒバ)も使われています。
●中金堂は本尊・像高約283.9センチの木造釈迦如来(しゃかにょらい)坐像、両脇に像高約362.0センチの木造薬王菩薩(やくおうぼさつ)立像・像高約360.0センチの木造薬上菩薩(やくじょうぼさつ)立像を安置しています。また像高約64.3センチの木造吉祥天倚像(高さ約102.0センチの厨子入り)・像高約93.8センチの木造大黒天立像・像高約197.2~206.6センチの木造四天王立像(持国天・増長天・広目天・多聞天)も安置しています。
【北円堂(国宝)の見所紹介|元正天皇・元明上皇創建】
北円堂(3代目)は鎌倉時代前期に再建され、800年以上の歴史を誇り、国宝に指定されて歴史的価値があります。本尊・弥勒如来(みろくにょらい)像も同時期に造仏され、800年以上の歴史があります。北円堂は興福寺最古の建物とも言われる人気の観光スポットです。北円堂は通常内部が非公開だが、春と秋に一般公開されます。(要確認)チャンスを逃さないようにしましょう。
●北円堂は721年(養老5年)に第44代・元正天皇とその母である元明上皇(第43代・元明天皇(げんめいてんのう))が藤原不比等の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて創建し、同年8月3日に完成したと言われています。北円堂はかつて西側に広がっていた平城京を一望することができた境内西隅に建立され、平城京造営を推進した藤原不比等の霊を慰める最良の場所と言われています。その後1049年(永承4年)・1180年(治承4年)に焼失し、1092年(寛治6年)に2代目が再建されました。北円堂は1210年(承元4年)頃に再建されました。なお北円堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●北円堂は法隆寺の夢殿(国宝)と同じ八角円堂(はっかくえんどう)で、屋根が本瓦葺です。北円堂は八角一面が約4.9メートル、対面径が約11.7メートルになります。
●北円堂は本尊・弥勒如来像(国宝)や無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像・世親菩薩(せしんぼさつ)立像・四天王(してんのう)立像などを安置しています。なお本尊・弥勒如来像は像高約141.9センチで、台座内枠に源慶(げんけい)・静慶(じょうけい)・運賀(うんが)・運助(うんじょ)・運覚(うんかく)・湛慶(たんけい)・康弁(こうべん)・慶運(けいうん)・康勝(こうしょう)など慶派仏師の墨書があり、奈良仏師・慶派を率いた運慶(うんけい)晩年の名作と言われています。
【興福寺見所ランキング完全ガイド 備考】
*参考・・・興福寺(見所・アクセス・・・)ホームページ














