元興寺の桜見ごろ2025(時期:4月上旬~中旬頃)

元興寺の桜見ごろ・アクセス・概要

元興寺の桜見ごろ(時期・ライトアップ・・・)情報を紹介しています。桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。元興寺では禅室(国宝)と浮図田の間に植えられ、影向桜と言われる染井吉野・八重桜・陽光桜が植えられ、桜と禅室・浮図田などの光景が美しいと言われています。源平しだれ桃も植えられ、桜と一緒に見られる場合もあります。(詳細下記参照)

【元興寺の桜見ごろ(例年時期)・2025年開花満開予測】
元興寺の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から奈良の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
奈良桜見ごろ2025

【元興寺桜 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市中院町11
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約15分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR奈良線・奈良駅(徒歩約20分)
*JR奈良線・奈良駅からバスの場合、田中町(徒歩約5分)
*近鉄奈良線・奈良駅からバスの場合、福智院町(徒歩約5分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【元興寺の桜見ごろ(例年時期) 概要】
元興寺は奈良の桜の名所です。元興寺の桜見ごろは例年4月上旬頃から4月中旬頃です。
元興寺では禅室(国宝)と浮図田の間に植えられ、影向桜と言われる染井吉野(ソメイヨシノ)・八重桜(ヤエザクラ)・陽光桜が植えられ、桜と禅室・浮図田などの光景が美しいと言われています。元興寺には源平しだれ桃(ゲンペイシダレモモ)も植えられ、桜と一緒に見られる場合もあります。なお影向桜は禅室西南の部屋(経蔵)を影向間(ようごうのま)と言うことに由来しています。影向間では真言宗の宗祖である・弘法大師・空海が毎日勉強をしていたが、ある日に智光曼荼羅を拝んでいると春日大明神が影向(ようごう)されたことに気付き、春日曼荼羅を描いて勧請(かんじょう)しました。また自らの影(姿)を彫り、その像も部屋にとどめ、影向間と言われるようになったそうです。
染井吉野は幕末に東京染井村(巣鴨付近)の植木職人が江戸彼岸(エドヒガン)と大島桜(オオシマザクラ)を交配させて生み出したと言われています。染井吉野は奈良・吉野山に因んで、吉野(ヨシノ)・吉野桜(ヨシノザクラ)と言われていたが、その後染井村から染井吉野と言われるようになりました。
源平しだれ桃は1本の木に紅色・白色・紅白の絞りの花を咲かせます。源平しだれ桃は八重咲きで、枝垂れ性の花桃です。なお源平しだれ桃は3色の花が咲き乱れる様子を源氏と平家が入り乱れて戦った源平合戦に例えて名付けられました。
禅室は奈良時代に僧坊(僧侶の宿舎)として建立されました。元興寺文化財研究所によると582年(敏達天皇11年)に伐採の樹木が使われていることが分かったそうです。1244年(寛元2年)に僧坊の西側四房(室)が禅室、東側三房(室)が本堂に改築されました。禅室は中世に春日影向堂とも言われ、近世に客殿、近代に学校舎として使用されました。
浮図田では本堂(極楽堂)・禅室南側に石塔(五輪塔・宝篋印塔・舟型五輪塔(宝篋印塔)板碑)が整然と並べられています。石塔はかつて禅室北側の石舞台に積み上げられていたが、1988年(昭和63年)に現在のように並べられ、浮図田と言われるようになりました。
桜(染井吉野)は2月1日以降の最高気温(毎日)の合計が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。また地域によって若干差があるが、開花から1週間から5日ほどで満開になるとも言われています。なお奈良では奈良地方気象台の移転により、現在奈良女子大付属中等教育学校の染井吉野が標準木とされ、5~6輪以上咲くと開花宣言が出されます。
●元興寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
元興寺歴史
●元興寺の見どころ(本堂・禅室など)を紹介しています。
元興寺見どころ

●奈良で人気の桜名所・見ごろを紹介しています。由緒なども確認できます。(下記リンク参照)
奈良桜名所・見ごろ

【元興寺 歴史・簡単概要】
元興寺(がんごうじ)は飛鳥時代戦記の588年(崇峻天皇元年)に蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺(あすかでら)とも言われたそうです。710年(和銅3年)の平城京(へいじょうきょう)遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、名称も法興寺(飛鳥寺)から元興寺に改められました。元興寺の名称は「仏法元興之場、聖教最初の地(日本で最初に仏教の教えが起こった地という意味)」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想(まっぽうしそう)の流行や阿弥陀(あみだ)信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊とも言われ、発展しました。室町時代中期の1451年(宝徳3年)の土一揆によって炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした元興寺観音堂・小塔院の3つに分裂しました。極楽院は1955年(昭和30年)に元興寺極楽坊、1977年(昭和52年)に元興寺に名称を改めました。
元興寺は真言律宗の寺院です。
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【元興寺桜 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
元興寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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