奈良椿名所・見ごろ(東大寺・白毫寺・・・)

伝香寺椿

奈良椿名所

奈良椿名所・見ごろを紹介しています。奈良には東大寺(奈良市)・白毫寺(奈良市)・伝香寺(奈良市)・奈良県護国神社(奈良市)などの椿の名所があります。東大寺の糊こぼし(良弁椿)・白毫寺の五色椿・伝香寺の散り椿は大和三名椿(奈良三名椿)に数えられています。白毫寺の五色椿は樹齢約400年・樹高約5メートル・根回り約1メートルです。

【椿 基礎知識】
椿は日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑樹です。椿は北海道などを除く、日本各地に自生しています。椿は日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」に第12代・景行天皇(けいこうてんのう)が熊襲(くまそ)の乱を鎮めた際、土蜘蛛(つちぐも)に対して海石榴(ツバキ)の椎を用いたと記されています。椿は安土桃山時代に関白・豊臣秀吉が茶の湯に好んで用いると茶道で茶花として重要な地位を占めるようになりました。椿は江戸時代以降に多くの園芸品種が作られ、500以上の園芸品種があると言われています。

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【東大寺椿】
東大寺には開山堂に糊こぼし(のりこぼし)とも、良弁椿(ろうべんつばき)とも言われる椿が植えられています。開山堂は通常非公開だが、垣間から見ることができます。椿見ごろは例年3月下旬頃から4月中旬頃です。
東大寺は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(金鍾寺)が起源と言われています。741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺に改められました。その後743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発し、当初滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に都が平城京に戻ると東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那を導師として、大仏開眼供養会が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。
東大寺椿見ごろ

【白毫寺椿】
白毫寺には樹齢約400年・樹高約5メートル・根回り約1メートルの五色椿が植えられています。椿見ごろは例年3月下旬頃から4月中旬頃です。
白毫寺は伝承によると奈良時代初期の715年(霊亀元年)に第38代・天智天皇の第7皇子・志貴皇子(施基親王)の山荘跡を寺に改めたのが起源とも言われています。また白毫寺は奈良時代後期に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の師とも言われている三論宗の僧・勤操大徳が創建した石淵寺の一院だったとも言われています。鎌倉時代に真言律宗の祖・叡尊が再興し、叡尊の弟子・道照が中国から宋版一切経の摺本を請来して、経蔵に収めたことから一切経寺とも言われたそうです。その後室町時代の兵火によって焼失し、江戸時代前期の寛永年間(1624年~1643年)頃に興福寺の僧・空慶が復興し、五色椿が興福寺の塔頭・喜多院からが移されてきたとも言われています。江戸時代中期の1757年(宝暦7年)の失火で焼失しました。
白毫寺椿見ごろ

【伝香寺椿】
伝香寺には散り椿が植えられています。椿見ごろは例年3月下旬頃から4月上旬頃です。
伝香寺は奈良時代の天平宝亀年間(770年~780年)に唐の渡来僧・鑑真和上の高弟・思詫律師が母国・唐を偲んで唐風の庵を結んで、実円寺と称した場所とも言われています。その後1585年(天正13年)に戦国大名・筒井順慶の母・芳秀宗英尼が第106代・正親町天皇の勅許により、子・筒井順慶の菩提を弔う為に唐招提寺の泉奘長老を開山に菩提所(香華院)として再興しました。芳秀宗英尼が本堂前に植えたと言われている椿は桜のように潔く散ることから筒井順慶に因み、武士椿とも言われたそうです。ちなみに現在も本堂前に3代目の椿が植えられているそうです。1983年(昭和58年)の筒井順慶法印400年遠諱の際、順慶座像と御堂が造立されました。
伝香寺椿見ごろ

【奈良県護国神社椿】
奈良県護国神社には境内に弁慶・月の輪・隠れ磯・参平・紅乙女・乙女椿・卜判錦・初雁・あけぼの・卜判・錦魚葉椿・英勝寺侘助・緋縮緬・花車・加茂本阿弥・太郎冠者・覆輪侘助・氷室雪月花・酒中花などの約1,000種・約1万本の椿が植えられています。椿見ごろは例年3月下旬頃から4月中旬頃です。
奈良県護国神社は1942年(昭和17年)に標高約432メートルの高円山西麓に造営され、内務大臣指定の護国神社になり、社号が奈良県護国神社になりました。面積約1万5千坪の境内は高円の杜とも称されています。奈良県では明治維新後に春日大社飛火野の浄地に祭壇を設置し、戦没者の英霊を招魂して慰霊祭を行っていたが、1939年(昭和14年)に奈良県知事を会長として護国神社建設奉賛会が組織され、翌1940年(昭和15年)に創立が許可されて造営が開始されました。GHQ占領時代の1947年(昭和22年)に付近の古名から社号を高円神社に一時改めたが、1952年(昭和27年)に再び社号を奈良県護国神社に改めました。奈良県護国神社には社殿・忠魂碑・戦没者慰霊塔・ビルマの塔・拓魂碑・消防殉職之碑などが建立されています。
奈良県護国神社椿見ごろ

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