奈良アジサイ名所・見ごろ(矢田寺・長弓寺・・・)
奈良アジサイ名所
奈良アジサイ名所・見ごろを紹介しています。奈良には矢田寺(大和郡山市)・長弓寺(生駒市)・長谷寺(桜井市)・壷阪寺(高取町)・吉野山(吉野町)・談山神社(桜井市)・久米寺(橿原市)・般若寺(奈良市)・滝谷花しょうぶ園(宇陀市)などのアジサイの名所があります。矢田寺ではツルアジサイ・シチダンカ・ヤマアジサイ・ヒメアジサイ・ジョウガサキなど約60種・約10,000株が植えられています。
【アジサイ 基礎知識】
アジサイ(紫陽花)はアジサイ科の落葉低木またはユキノシタ科の落葉低木です。アジサイは房総半島・三浦半島・伊豆半島・伊豆諸島などの海岸に自生するガクアジサイ(額紫陽花)を母種とする園芸品種です。アジサイは花が枝先に青紫色から赤紫色に変わる萼(がく)のある小花が球状に集まって咲きます。花は装飾花で、大部分が中性花からなります。アジサイは花の色が変わることから七変化・八仙花とも言われています。土壌が酸性の場合に青色、土壌が中性・アルカリ性の場合に赤色になります。またアジサイは花に含まれている葉緑素の分解により、開花から日数が経過すると色が徐々に変化します。
【矢田寺アジサイ】
矢田寺ではアジサイ園やあじさい見本園にツルアジサイ・シチダンカ・ヤマアジサイ・ヒメアジサイ・ジョウガサキなど約60種・約10,000株が植えられています。アジサイ見ごろは例年6月上旬頃から7月上旬頃です。
矢田寺は寺伝によると679年(天武天皇8年)に智通僧上が第40代・天武天皇の勅願により、七堂伽藍四十八坊を矢田山の中腹に創建し、十一面観音菩薩・吉祥天を安置したのが起源と言われています。天武天皇(大海人皇子)は672年(天武天皇元年)の壬申の乱の際に矢田山に上って、戦勝祈願を行ったと言われています。平安時代前期の弘仁年間(810年~823年)に満米上人が地蔵菩薩を安置して以来、地蔵信仰の中心地として信仰されるようになりました。その後兵火で伽藍の多くを焼失しました。
矢田寺アジサイ見ごろ
【長弓寺アジサイ】
長弓寺では参道や塔頭・薬師院の下の広場などにガクアジサイ・ホンアジサイ・アナベルなど800株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月上旬頃から7月上旬頃です。
長弓寺は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇が行基に命じ、豪族・小野真弓長弓の菩提を弔う為に御堂を建立し、本尊・十一面観音を安置したのが起源とも言われています。聖武天皇は長弓とその養子・長麿を従って狩猟を行っていたが、森から一羽の怪鳥が飛び立った際、長麿が誤って長弓を射殺しました。聖武天皇は深く悲しんで、自ら弓の柄で十一面観音の頂上の仏面を彫ったとも言われています。その後平安時代に藤原良継が伽藍を整備し、丈六の阿弥陀・釈迦・四天王を安置したと言われています。
長弓寺アジサイ見ごろ
【長谷寺アジサイ】
長谷寺では仁王門から続く嵐の坂の石段脇・本堂から開山堂に向かう石段脇などにセイヨウアジサイ・ガクアジサイなど10種・約3,000株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月中旬頃です。
長谷寺は寺伝によると686年(朱鳥元年)に道明上人が第40代・天武天皇の銅板法華説相図を西の岡(本長谷寺)に安置したのが起源とも言われています。727年(神亀4年)に徳道上人が第45代・聖武天皇の勅により、近江高島から流れ出でた霊木を使って本尊・十一面観世音菩薩像を造仏し、衆生の為に東の岡に安置したとも言われています。847年(承和14年)に定額寺に列せられ、858年(天安2年)に僧を統括する上座・寺主・都維那の僧職・三綱が置かれました。1024年(万寿元年)に関白・藤原道長が観音霊場として参詣したと言われています。
長谷寺アジサイ見ごろ
【壷阪寺アジサイ】
壷阪寺では壺阪大仏(天竺渡来大釈迦如来石像)周辺など境内各所にアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。
壷阪寺は「南法花寺古老伝」によると703年(大宝3年)に元興寺の僧・弁基上人が創建したとも言われています。弁基上人は山で修行していた際、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んだと言われています。壷阪寺は清水寺の北法華寺に対し、南法華寺とも言われました。その後第44代・元正天皇の御祈願寺になり、平安時代に長谷寺とともに定額寺に列せられ、ともに観音霊場として信仰されました。清少納言は「枕草子」の中で、「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と記し、左大臣・藤原道長が吉野参詣の際に宿泊したと言われています。
壷阪寺アジサイ見ごろ
【吉野山アジサイ】
吉野山では下千本の七曲り坂にガクアジサイなど約4,000株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。
吉野山は奈良県と三重県の境にある大台ヶ原を源とし、奈良県の中央部を流れる一級河川・紀の川南岸から大峰山脈に続く約8キロメートルの山稜です。大峰山脈北端にある標高約857.9メートルの青根ヶ峰付近から吉野川左岸に至る尾根です。吉野山はいずれも世界遺産で、修験道の祖である役行者・役小角が創建したと言われている金峯山寺・大峰山寺に祀られている蔵王権現の神木が桜とされ、蔵王権現に祈願する際には桜の苗木を寄進することが風習となったこともあり、平安時代頃から桜がたくさん植えられるようになりました。
吉野山アジサイ見ごろ
【談山神社アジサイ】
談山神社では境内各所にガクアジサイなど約1,000株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月中旬頃です。
談山神社は寺伝によると678年(天武天皇7年)に藤原氏の祖・藤原鎌足(中臣鎌足)の長男で、僧・定恵(中臣真人)が父・鎌足の墓を摂津安威(阿武山古墳)から奈良大和に移し、十三重塔を建立したのが起源とも言われています。その後680年(天武天皇9年)に講堂(現拝殿)が建立され、妙楽寺と号し、701年(大宝元年)に十三重塔の東に藤原鎌足像を安置する祠堂(現本殿)が建立され、聖霊院と号した言われています。平安時代に藤原高光が出家して入山し、藤原氏の繁栄とともに発展しました。
談山神社アジサイ見ごろ
【久米寺アジサイ】
久米寺では本堂西側にあるあじさい園にガクアジサイなど約40種・約3,500株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月上旬頃から7月上旬頃です。
久米寺は594年(推古天皇2年)に第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子の弟・来目皇子が創建したとも言われています。来目皇子が幼少の頃に眼病によって両目を失明したが、聖徳太子のお告げにより、病を癒す薬壷を持って医王如来とも言われる薬師如来に祈願したところ平癒したと言われています。それ以来、来目皇子は自ら来目皇子と称したとも言われています。その後真言宗の宗祖である弘法大師・空海が塔から真言宗の根本経典のひとつである大日経を感得(発見)したも言われています。江戸時代前期の1663年(寛文3年)に本堂が建立されました。
久米寺アジサイ見ごろ
【般若寺アジサイ】
般若寺では境内にクロヒメ・クレナイ・フジノタキなど50種・約500本のヤマアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。
般若寺は寺伝によると629年(舒明天皇元年)に高句麗の僧・慧灌法師が創建し、土地の瑞祥を見たことから般若台と号したのが起源とも言われています。また般若寺は654年(白雉5年)に蘇我日向臣身刺が第36代・孝徳天皇の病気平癒の為に創建したとも言われています。735年(天平7年)に第45代・聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建て、自筆の大般若経を安置したとも言われています。その後1180年(治承4年)の南都焼き討ちで焼失したとも言われています。鎌倉時代に僧・良恵らが十三重石塔を再建し、西大寺の僧・叡尊が伽藍を再建しました。
般若寺アジサイ見ごろ
【滝谷花しょうぶ園アジサイ】
滝谷花しょうぶ園では園内ほぼ中央にあるあじさいの花園に手毬咲きの西洋アジサイなど約55種・約7,000株のアジサイが植えられています。アジサイ見ごろは例年6月中旬頃から7月上旬頃です。
滝谷花しょうぶ園は三本松長瀬の大師堂と室生寺を結ぶ大師の道沿いで、室生の山々に囲まれた静かな山あいの里にあります。大師の道は伊賀・名張など三重県から三重県松阪市六軒と奈良県桜井市初瀬を結ぶ初瀬街道を通り、三本松長瀬から山越えで室生寺にお参りする古道で、かつて多くの参拝客が通っていました。滝谷花しょうぶ園は面積約1万坪で、花しょうぶ花園・あじさいの花園・しばざくら花園・てっせん花園・藤棚・睡蓮池・鑑賞園・てっせんの花道・品種見本園・竹やぶ散策道などがあります。
滝谷花しょうぶ園アジサイ見ごろ