広瀬大社砂かけ祭2025/2/11(日程時間・・・)
広瀬大社砂かけ祭
広瀬大社砂かけ祭(日程・・・)を紹介しています。砂かけ祭は例年2月11日に行われています。砂かけ祭では田植えの所作をする田人(たじん)・牛と参拝者が入り乱れ、砂を掛け合います。砂の掛け合いは数度行われます。ちなみに雨に見立てた砂をたくさん掛け合うと五穀豊穣になると言われています。なお田餅・松苗撒きも撒かれます。(要確認)(詳細下記参照)
【広瀬大社砂かけ祭2025 日程時間(要確認)】
広瀬大社砂かけ祭2025は2025年(令和7年)2月11日(火曜日)10:30から行われます。過去のタイムテーブルは10:30から殿上の儀、11:30から神賑行事、13:00から御諏訪太鼓奉納、14:00から砂を掛け合う庭上の儀、15:00から田餅・松苗撒きです。(現在確認中・要注意)
*参考・・・広瀬大社ホームページ
【広瀬大社砂かけ祭 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県北葛城郡河合町川合99
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約30分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線
*近鉄田原本線・池部駅(徒歩約35分)
*近鉄橿原線・結崎駅(徒歩約45分)
【広瀬大社砂かけ祭 歴史・簡単概要】
広瀬大社砂かけ祭(すなかけまつり)は日本最古の歴史書・「日本書紀」によると675年(天武天皇4年)に水の神を祀り、五穀豊穣を祈願した大忌祭(おおいみのまつり)が起源とも言われています。ちなみに砂かけ祭では戦前までは大和川からわざわざ砂を運んでいたそうです。なお砂かけ祭は五穀豊穣を祈願する御田植祭(おんだまつり)で、大和(奈良)の奇祭とも言われています。砂かけ祭は町の無形民俗文化財に指定されているそうです。
砂かけ祭では先ず午前中に殿上の儀(でんじょうのぎ)が行われます。殿上の儀では祝詞奏上・田植の所作が行われ、神楽歌が歌われます。その後午後から庭上の儀が行われます。庭上の儀では太鼓の合図により、田植えの所作をする田人(たじん)・牛が参拝者に砂を掛けます。その後田人・牛と参拝者が入り乱れ、砂を掛け合います。砂の掛け合いは数度行われます。ちなみに雨に見立てた砂をたくさん掛け合うと五穀豊穣になると言われています。砂掛け終了後、松の葉を苗に見立てた田餅・松苗が撒かれます。松苗は田の水口に刺すと害虫・病気などから田を守り、玄関に飾ると無病息災のご利益があると言われています。また田餅は食べると1年間の無病息災のご利益があると言われています。
御田植祭(お田植祭)は神社などで農作業を模擬的に演じ、豊作を祈願する神事です。御田植祭が新春に予祝芸能(よしゅくげいのう)として行われる場合、田遊びとも言われています。
【広瀬大社 歴史・簡単概要】
広瀬大社(ひろせたいしゃ)・廣瀬大社・広瀬神社(廣瀬神社)は起源が明確ではありません。広瀬大社は社伝によると紀元前89年(崇神天皇9年)広瀬の河合の里長・広瀬臣藤時に信託があり、沼地である水足池(みずたるのいけ)が一夜にして陸地に変わって橘が数千株生え、そのことが時の天皇に伝わり、大御膳神として社殿を造営したのが起源とも言われています。広瀬大社は広瀬の水神とも言われ、龍田の風神(龍田大社)と並び称されたそうです。675年(天武天皇4年)4月10日に小錦中間人連大蓋が遣わされ、大山中曽根連韓犬を斎主として大忌神を広瀬の河曲に祀ったのが4月4日・7月4日に行われた祭礼・大忌祭(おおいみのまつり)の起源とも言われています。1081年(永保元年)に神階・正一位を授けられ、その後二十二社のひとつになりました。1506年(永正3年)の赤沢朝経(あかざわともつね)の兵火に見舞われ、宝物などが焼失しました。第二次大戦後には広瀬大社と称するようになりました。なお広瀬大社は主祭神に若宇加能売命(わかうかのめのみこと)、相殿神に櫛玉命(くしたまのみこと)・穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀っています。
*参考・・・広瀬大社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【広瀬大社砂かけ祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
広瀬大社・広瀬神社(アクセス・見どころ・・・)情報