法隆寺太子道をたずねる集い/11/(日程時間・・・)
法隆寺太子道をたずねる集い
法隆寺太子道をたずねる集い(日程・・・)を紹介しています。太子道をたずねる集いは例年11月22日に行われています。太子道をたずねる集いでは太子像を乗せた輿を先頭に法隆寺から飽波神社(あくなみじんじゃ)・油掛地蔵・太子の腰掛石・白山神社(はくさんじんじゃ)・多神社(おおじんじゃ)を経由し、橘寺(たちばなでら)までを歩きます。(詳細下記参照)
【法隆寺太子道をたずねる集い2019 日程時間(要確認)】
法隆寺太子道をたずねる集い2019は2019年(令和元年)11月22日(金曜日)に行われます。(要予約・満69歳までの健康な方)(現在確認中・要注意)
【法隆寺太子道をたずねる集い アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線
*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック
【法隆寺太子道をたずねる集い 歴史・簡単概要】
法隆寺太子道をたずねる集い(たいしみちをたずねるつどい)では聖徳太子の月命日の11月22日に橘寺(たちばなでら)までの道を聖徳太子を偲んで歩きます。太子道をたずねる集い(小墾田ルート)では太子像を乗せた輿を先頭に法隆寺から飽波神社(あくなみじんじゃ)・油掛地蔵(あぶらかけじぞう)・太子の腰掛石・白山神社(はくさんじんじゃ)・多神社(おおじんじゃ)を経由し、橘寺(たちばなでら)までを歩きます。ただ一部の区間はバスで移動します。橘寺では太子堂前で僧侶による読経が行われます。なお聖徳太子は斑鳩宮(いかるがのみや)から馬に乗り、侍者を従え、小墾田宮(おはりだのみや)まで通ったとも言われています。
聖徳太子は574年(敏達天皇3年)に第31代・用明天皇と皇后・穴穂部間人の皇子として生まれ、叔母にあたる第33代・推古天皇の皇太子・摂政として、内政・外交などの政治に尽力し、冠位十二階・十七条憲法を制定したり、小野妹子を遣隋使として派遣したりしました。また聖徳太子は仏教に深く帰依し、法隆寺・四天王寺などの寺院を創建したり、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著したりして仏教の振興に尽くし、622年(推古天皇30年)2月22日に斑鳩宮(いかるがのみや)で亡くなった。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)・法隆寺見どころ(東院伽藍等)
【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【法隆寺太子道をたずねる集い 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報