法隆寺お会式2025/3/22~24(日程時間・・・)

法隆寺お会式

法隆寺お会式(日程・・・)を紹介しています。お会式は例年3月22日から24日に行われています。お会式は飛鳥時代前期の622年(推古天皇30年)2月22日に亡くなった法隆寺の開基・聖徳太子の命日に遺徳を偲ぶ法要です。お会式では聖霊院の本尊・聖徳太子摂政像が開扉されます。またお会式では参道に露店が並ぶそうです。(要確認)(詳細下記参照)

【法隆寺お会式2025 日程時間(要確認)】
法隆寺お会式2025は2025年(令和7年)3月22日(土曜日)~24日(月曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・法隆寺ホームページ

【法隆寺お会式 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
最寄り駅・バス停・・・法隆寺駅(徒歩約20分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR関西本線

*JR法隆寺駅からバス・法隆寺門前行きの場合、法隆寺門前
*JR王寺駅からバス・春日大社奈良行きの場合、法隆寺前
*近鉄奈良駅からバス・JR王寺駅行きまたはバス・法隆寺行きの場合、法隆寺前
路線・時刻表・運賃チェック

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【法隆寺お会式 歴史・簡単概要】
法隆寺お会式(おえしき)は夢殿(ゆめどの)が建立された後の748年(天平20年)から行われていると言われています。748年(天平20年)2月22日、行信僧都が第45代・聖武天皇の勅許を得て法要を行ったと言われています。ちなみに夢殿は739年(天平11年)に行信僧都が聖徳太子(しょうとくたいし)を偲び、聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に建立した言われています。その後1121年(安元2年)からは聖徳太子摂政像が安置されている聖霊院でお会式が行われるようになりました。なおお会式は622年(推古天皇30年)2月22日に亡くなった法隆寺の開基・聖徳太子の命日に遺徳を偲ぶ法要です。お会式は10年に一度大講堂で行われる大法要は大会式(聖霊会)、毎年聖霊院で行われる法要は小会式と言われています。
お会式ではお仏飯・重ね餅・黄の小判餅・ネコ耳・白の小判餅・ケイピン・三輪素麺・金柑・青豆・カヤの実・ホオズキ・ミズクワイ・白豆・ネズミ耳・クワイ・干柿・八角柱の切餅・紅白寒天・黒豆・銀杏が供えられます。供物は古い記録に則って、1か月ほど前から僧侶などの手作りで準備されるそうです。なおお会式では聖霊院の本尊・聖徳太子摂政像が開扉されます。またお会式では参道に露店が並ぶそうです。(要確認)ちなみにお会式は法隆寺会式・お太子さまとも言われているそうです。
聖徳太子は574年(敏達天皇3年)に第31代・用明天皇と皇后・穴穂部間人の皇子として生まれ、叔母にあたる第33代・推古天皇の皇太子・摂政として、内政・外交などの政治に尽力し、冠位十二階・十七条憲法を制定したり、小野妹子を遣隋使として派遣したりしました。
●法隆寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
法隆寺歴史
●法隆寺の見どころ(金堂・夢殿など)を紹介しています。
法隆寺見どころ(西院伽藍)法隆寺見どころ(東院伽藍等)

【法隆寺 歴史・簡単概要】
法隆寺(ほうりゅうじ)・斑鳩寺(いかるがでら)は第31代・用明天皇が自らの病気平癒を祈願する為に発願したが、実現しないまま崩御し、607年(推古天皇15年)第33代・推古天皇と用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)が用明天皇の遺志を継いで創建し、本尊・薬師如来を安置したのが起源と言われています。670年(天智9年)に焼失したが、その後再建され、693年(持統7年)には仁王会が行われたとも言われています。739年(天平11年)行信僧都が聖徳太子を偲び、斑鳩宮(いかるがのみや)の旧地に夢殿を建立した言われています。その後慶長年間に関白・豊臣秀吉の子・秀頼、江戸時代には江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍の修造を行いました。なお法隆寺は1993年(平成5年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(法隆寺地域の仏教建造物)のひとつに登録されました。
法隆寺は聖徳宗の総本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【法隆寺お会式 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・法隆寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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