唐招提寺見所ランキング-修学旅行・観光で見学必見
唐招提寺見所ランキング-金堂・講堂・経蔵・御影堂
唐招提寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が鑑真和上の弟子・如宝が建立した金堂(国宝)、2位が奈良時代の平城宮東朝集殿を前身とする講堂(国宝)、3位が新田部親王邸の米倉を改造した経蔵(国宝)です。なお国宝・重要文化財など修学旅行・観光で見るべき名所を紹介しています。(詳細下記参照)
- 1位-奈良時代に鑑真和上の弟子・如宝が建立した金堂(国宝)
- 2位-奈良時代の平城宮東朝集殿を前身とする講堂(国宝)
- 3位-天武天皇の皇子・新田部親王邸の米倉を改造した経蔵(国宝)
- 番外-興福寺の塔頭・一乗院の宸殿を前身とする御影堂(重要文化財)
【修学旅行・観光で絶対に見学すべき金堂(国宝)】
金堂は奈良時代後期に建立され、その後焼失などを免れたことから1,200年以上の歴史があります。奈良時代に金堂として建立された唯一のものと言われています。金堂は唐招提寺最大の名所です。なお金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
- 見所概略-金堂は灯籠が建立されている正面から拝観するのがおすすめです。金堂は桁行約28.0メートル(桁行7間)・梁間約14.6メートル(梁間4間)・棟高約15.7メートルで、平面積約410.0平方メートルあります。ちなみに正面間口の中央は幅約4.7メートルだが、両端に行くほど次第に狭くなって幅約3.3メートルになります。じっくり拝観するとその違いが分かります。
- 歴史ポイント-金堂は奈良時代(8世紀後半)に鑑真和上の弟子で、渡来僧・如宝が建立しました。年輪年代測定法による調査により、地垂木三本はいずれも781年(宝亀12年・天応元年)に伐採されたことが分かりました。金堂は奈良時代に当初から金堂として建立された唯一金堂とも言われています。ただ金堂では平安時代後期(12世紀)・鎌倉時代後期の1270年(文永7年)・鎌倉時代後期の1323年(元亨3年)・江戸時代中期の1693年(元禄6年)~1694年(元禄7年)・1898年(明治31年)~1899年(明治32年)などに度々修理が行われ、最近では2000年(平成12年)から平成の大修理(解体修理)が行われ、2009年(平成21年)11月に落慶行事が行われました。
- 重要人物-如宝は「唐大和上東征伝」によると胡国(西域)で生まれたとも言われています。鑑真和上に師事したが、正規の僧ではなく、修行中の僧である沙弥または在家の信者である優婆塞だったとも言われています。753年(天宝12載)に日本渡航に挑んだ鑑真和上の随員に加わり、754年(天平勝宝6年)に鑑真和上とともに平城京に入り、東大寺大仏殿前で受戒の儀が行われた際に受戒して正規の僧になりました。その後東大寺戒壇院北の唐禅院に住したが、鑑真和上が戒院・唐律招提(唐招提寺)を興すと鑑真和上とともに東大寺を去りました。763年(天平宝字7年)に鑑真和上が唐招提寺で没すると長老になり、伽藍造営に尽力し、律宗の発展に務めました。797年(延暦16年)に律師に任じられ、806年(大同元年)に少僧都に任じられました。如宝は815年(弘仁6年)に亡くなりました。
- 仏像-金堂は本尊・像高約304.5センチ(光背の高さ約5.15センチ)の乾漆廬舎那仏坐像を安置しています。また像高約336.5センチの木心乾漆薬師如来立像・像高約535.7センチの木心乾漆千手観音立像・像高約185.0センチ~約188.5センチの木造四天王立像(持国天立像・増長天立像・広目天立像・多聞天立像)・像高約186.2センチの木造梵天立像・像高約188.2センチの木造帝釈天立像も安置しています。
【修学旅行・観光で見学すべき講堂(国宝)】
講堂は平城宮の東朝集殿を前身とし、1,250年以上の歴史があります。講堂は奈良時代に造営された平城宮の唯一の遺構とも言われています。なお講堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
- 見所概略-講堂は正面から眺めるのがおすすめです。講堂は金堂よりも少し小さい桁行9間・梁間4間で、その大きさを感じることができます。講堂は壁がほとんど無い開放的な建物で、1,200年以上前の平城宮の面影を感じることができるかもしれません。
- 歴史ポイント-講堂は奈良時代後期の760年(天平宝字4年)頃に行われた平城宮の改修の際、平城宮の東朝集殿を移築・改築して建立されたと言われています。講堂は平城宮の唯一の遺構とも言われています。ただ鎌倉時代後期の1275年(建治元年)・江戸時代などに改修されたと言われています。
- 仏像-講堂は本尊・像高約283.3センチの木造弥勒仏坐像を安置しています。また像高約132.5センチの木造持国天立像・像高約128.2センチの木造増長天立像も安置しています。
【修学旅行・観光で見逃せない経蔵(国宝)】
経蔵は新田部親王邸の米倉を前身とし、1,250年以上の歴史があります。経蔵は国内最古の校倉と言われています。なお経蔵は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)11月14日に国宝に指定されました。
- 見所概略-経蔵は礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建立され、一緒に拝観するのがおすすめです。経蔵が南側、宝蔵が北側に建立されています。経蔵・宝蔵は外観がよく似ているが、経蔵の方が宝蔵よりも歴史が古いが、宝蔵の方が経蔵よりも一回り大きくなっています。ちなみに経蔵は桁行約5.61メートル・梁間約4.70メートル、宝蔵は桁行約7.63メートル・梁間約6.00メートルです。経蔵・宝蔵の大きさを比べながら拝観しましょう。
- 歴史ポイント-経蔵は奈良時代後期の759年(天平宝字3年)の唐招提寺創建時に第40代・天武天皇の第7皇子・新田部親王邸の米倉を改造して建立されました。経蔵は校倉造で、日本国内で最古の校倉と言われています。
- 歴史ポイント-宝蔵は奈良時代後期の759年(天平宝字3年)の唐招提寺創建時に建立されたと言われています。
- 仏像-経蔵は文殊五尊像を安置しています。文殊五尊像は獅子に乗った文殊菩薩と善財童子・優でん王・仏陀波利・最勝老人から構成されています。
【興福寺の塔頭・一乗院の宸殿を前身とする御影堂(重要文化財)】
御影堂は江戸時代前期に建立された一乗院の宸殿を前身とし、350年以上の歴史があります。鑑真和上坐像は奈良時代に造られ、1,250年以上の歴史があります。なお御影堂は1962年(昭和37年)4月9日に国の重要文化財に指定されました。
- 見所概略-御影堂は土塀に囲まれた境内北側に建立されています。御影堂は興福寺の塔頭・一乗院、奈良県庁、奈良地方裁判所、そして鑑真和上坐像(国宝)を安置する御影堂と用途が変遷し、その歴史を感じることができます。また御影堂は近付くと桁行約23.0メートル・梁間約15.1メートルの宸殿の大きさも感じることができます。
- 歴史ポイント-御影堂は江戸時代前期の1649年(慶安2年)に興福寺の塔頭・一乗院(廃絶)の宸殿として建立されました。明治維新後の廃仏毀釈によって一乗院が廃絶し、建物の一部は芳徳寺などの寺院に移され、宸殿は1962年(昭和37年)までは奈良県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使用され、1964年(昭和39年)に鑑真和上1,200年忌事業として唐招提寺に移されました。なお2022年3月まで平成の大修理事業の為に拝観ができません。ちなみに宸殿は基礎を修理する為、玄関部分と切り離され、高さ約60センチ持ち上げて曳屋(ひきや)で北側に約30メートル移動されられました。
- 木像-御影堂は天平時代に造られ、日本最古の肖像彫刻とも言われる像高約80.1センチの鑑真和上坐像(国宝)を安置しています。
【唐招提寺 備考】
*参考・・・唐招提寺(見所・アクセス・・・)ホームページ