東大寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

東大寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
東大寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには東大寺の本堂である大仏殿(国宝)、奈良の大仏と言われる盧舎那仏坐像(国宝)、運慶らが造仏した金剛力士像を安置する南大門(国宝)があります。また二月堂・法華堂・四月堂なども見逃せません。
【東大寺の本堂である大仏殿(国宝)の見どころ解説】
★大仏殿(金堂)は大仏に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。写真映えして人気もあります。大仏殿はかつて世界最大の木造建築物と言われ、現在は世界最大級の木造建築物と言われています。大仏殿は東大寺の本堂で、本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ・毘盧舎那仏)坐像(国宝)を安置しています。なお大仏殿は高さ・奥行が奈良時代の創建時とほぼ同じだが、間口が3分の2に縮小されています。
★大仏殿の歴史は江戸時代(1603年~1868年)中期に第二の中興開山・公慶上人(こうけいしょうにん)が再建を開始し、1705年(宝永2年)に落慶しました。大仏殿は8世紀頃(奈良時代)に創建されたが、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討(なんとやきうち)で焼失しました。その後俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が再建し、1190年(建久元年)に上棟式(じょうとうしき)、1195年(建久6年)に落慶供養(らっけいほうよう)が行われたが、1567年(永禄10年)に松永・三好の合戦で再び焼失しました。その後仮の大仏殿が建立されたが、1610年(慶長15年)に暴風で倒壊し、大仏は露座のまま放置されていました。
★大仏殿の建築様式は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)で、二階建てに見える一重もこし付きです。正面に銅板葺(どんばんぶき)の唐破風(からはふ)付きです。明治時代に修復が行われ、イギリスのシェルトン・スチール製の鉄骨トラスが大屋根を支えています。大仏殿は桁行五間・梁間五間で、高さ約46.8メートル・間口約57メートル・奥行約50.5メートルです。江戸時代中期の再建の際、巨木の調達が困難になり、柱は芯材(しんざい)の周囲に別材を巻き付けています。
★大仏殿の穴は大仏の鼻の穴と同じ、縦約37センチ・横約30センチと言われ、大仏に向かって右側前方の柱にあります。北東は鬼門(きもん)に位置し、穴を開けることで邪気(じゃき)が通り抜けるようにしたとも言われています。柱の穴をくぐるとその年に良いことがあるとも、頭が良くなるなどとも言われています。また無病息災・祈願成就のご利益があるとも言われています。
★大仏殿が鎌倉時代(1185年~1333年)に再建された際、後白河上皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)や鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が列席して総供養が行われました。
★大晦日(12月31日)から元旦(1月1日)や8月15日の万灯供養会(まんとうくようえ)の際、正面の観相窓(かんそうまど)が開けられ、大仏の顔を外から見ることができます。
【奈良の大仏と言われる盧舎那仏坐像(国宝)の見どころ解説】
★大仏は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。大仏(盧舎那仏坐像)は東大寺の本尊で、大仏殿に安置されていです。脇侍に如意輪観音(にょいりんかんのん)坐像・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)坐像も安置されています。大仏は像高約14.98メートルです。盧舎那仏の名称には世界を照らす仏という意味があり、宇宙の真理を体得した釈迦如来(しゃかにょらい)の別名ともされています。
★大仏の歴史は745年(天平17年)から鋳造(ちゅうぞう)が開始され、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会(かいがんくようえ)が行われました。855年(斉衡2年)に大地震で頭部が落下し、真如法親王が修復しました。1180年(治承4年)に平重衡による南都焼討で台座(だいざ)・下半身などの一部を残して焼失し、その後俊乗房重源が再鋳造し、1185年(文治元年)に開眼供養が行われました。ただ1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦で再び焼失し、1690年(元禄3年)に頭部が鋳造され、1692年(元禄5年)に開眼供養が行われました。大仏は台座・袖(そで)などは鋳造当初の奈良時代(710年~794年)のものだが、体の大部分は室町時代(1336年~1573年)末期、頭部は江戸時代(1603年~1868年)に鋳造されました。
★大仏は743年(天平15年)に第45代・聖武天皇が大仏造立の詔を発し、滋賀県甲賀市・紫香楽宮(しがらきのみや)で鋳造が開始されたが、745年(天平17年)に奈良に場所を移して鋳造が再開されました。
★例年8月7日に大仏さまお身拭い(だいぶつさまおみぬぐい)を行い、魂を抜く撥遣(はっけん)後にきれいにされています。
【金剛力士像を安置する南大門(国宝)の見どころ解説】
★南大門は修学旅行・観光で見る価値があります。南大門は高さ約25.46メートルで、国内最大の山門と言われています。南大門は左右に運慶(うんけい)・快慶(かいけい)らが造仏し、仁王(におう)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像(国宝)2体を安置しています。南大門に向かって左側は口を開いた阿形(あぎょう)像、右側は口を閉じた吽形(うんぎょう)像です。金剛力士像は力強い像容に息をのむほどの迫力を感じ、夕方以降にライトアップされます。南大門は上層の正面中央に扁額「大華厳寺(だいけごんじ)」が掛けられ、石造獅子(しし)1対(重要文化財)も安置しています。
★南大門の歴史は俊乗房重源が再建し、1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)に金剛力士像が完成したと言われています。1927年(昭和2年)に解体修理が行われました。南大門は奈良時代(710年~794年)の東大寺創建時に創建されたが、962年(応和2年)の台風で倒壊しました。
★南大門の建築様式は五間三戸(ごけんさんこ)の二重門(にじゅうもん)で、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺です。南大門には長さ約21メートルの大円柱が18本使われています。
★金剛力士像2体は像高約8.4メートルです。古文書の記述によると1203年(建仁3年)に運慶・湛慶(たんけい・備中法橋)・快慶(安阿弥陀仏)・定覚(じょうがく・越後法橋)らが約70日間(69日)で2体同時に造仏しました。快慶は阿形像、運慶は吽形像を中心に造仏したと言われています。木材は山口県で伐採され、1年ほど掛けて奈良に運ばれました。
【お水取りが行われる二月堂(国宝)の見どころ解説】
★二月堂は修学旅行・観光で見る価値があります。二月堂では752年(天平勝宝4年)から一度も途切れることなくお水取り(修二会(しゅにえ))が行われています。お水取りは3月1日から2週間行われ、夜間に幻想的・神秘的な情景が見られます。二月堂は本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)と言われる十一面観音(じゅういちめんかんのん)像2体を安置しています。大観音・小観音は誰も見ることを許されない絶対秘仏(ひぶつ)とされています。二月堂の名称は旧暦の2月に行われる修二会に由来しています。修二会は正式に十一面悔過(じゅういちめんけか)と言い、お水取り・お松明(おたいまつ)とも言われています。
★二月堂の歴史は1669年(寛文9年)に再建されました。二月堂は752年(天平勝宝4年)頃に創建され、1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失しました。
★二月堂の建築様式は懸造(かけづくり)・舞台造で、屋根が寄棟造の本瓦葺です。
★二月堂は24時間参拝可能です。時間がある方は早朝などに訪れるのもいいかもしれません。二月堂は高台に懸造(舞台造)で建立され、西側に沈む美しい夕日が眺められ、奈良を代表する夕景と言われています。
【三月堂と言われる法華堂(国宝)の見どころ解説】
★法華堂(三月堂)は仏像を安置する後部の正堂(しょうどう)、前部の礼堂(らいどう)から構成されています。正堂に本尊・不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)立像(国宝)を安置し、羂索堂(けんさくどう)と言われていました。また梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)・阿吽(あうん)の金剛力士(こんごうりきし)・四天王(してんのう)・秘仏の執金剛紳(しゅこんごうじん)も安置しいます。法華堂は旧暦の3月に法華会(ほっけえ)が行われたことから三月堂と言われています。
★法華堂の歴史は正堂が747年(天平19年)頃に金鐘寺の堂として建立されたと言われています。礼堂は1199年(正治元年)に建立されました。鎌倉時代(1185年~1333年)に礼堂を寄棟造から入母屋造に改め、正堂と礼堂を繋いでひとつの建物になったと言われています。
★正堂の建築様式は屋根が寄棟造の本瓦葺、礼堂は入母屋造の本瓦葺です。
【良弁僧正を祀る開山堂(国宝)の見どころ解説】
★開山堂(良弁堂)は八角造(はっかくづくり)の厨子(ずし)に初代住職・良弁僧正坐像(国宝)を安置し、良弁堂と言われています。
★開山堂の歴史は内陣が1200年(正治2年)、外陣が1250年(建長2年)に建立されました。
★開山堂の建築様式は大仏様(だいぶつよう)です。開山堂は屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。
★例年12月16日に良弁忌が行われ、良弁僧正坐像が公開されています。
【上司から東南院に移築された本坊経庫(国宝)の見どころ解説】
★本坊経庫は南大門を入った右側の本坊にある校倉造(あぜくらづくり)の倉庫です。本坊は境内で別格の存在であった旧・東南院(とうなんいん)です。本坊は通常非公開です。
★本坊経庫の歴史は奈良時代(710年~793年)に上司(かみつかさ)と言われる場所に建立され、1714年(正徳4年)に子院(院家(いんげ))・東南院に移されました。その後東南院が廃絶し、本坊経庫と言われるようになりました。
★本坊経庫の建築様式は屋根が寄棟造の本瓦葺です。
★東大寺には本坊経庫を除き、正倉院(しょうそういん)宝庫を含め、法華堂経庫・勧進所(かんじんしょ)経庫など5棟の校倉が残されているそうです。
【天平時代の遺構と言われる転害門(国宝)の見どころ解説】
★転害門は奈良時代(710年~794年)の創建時の姿を残しています。転害門は明治時代初期まで東大寺の鎮守社・手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)の御旅所(おたびしょ)とされていました。転害門は天平時代の遺構と言われています。転害門の名称は東側に碾磑(てんがい・石臼(いしうす))があったことに由来しています。転害門は平城京(へいじょうきょう)の一条通(佐保路(さほじ))に面して建立されていたことから佐保路門とも言われています。また転害門は平景清(たいらのかげきよ)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝を暗殺する為に隠れたという伝承から景清門とも言われています。
★転害門の歴史は天平宝字年間(757年~765年)頃に建立され、鎌倉時代(1185年~1333年)に修理されたと言われています。転害門は1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦でも焼失を免れました。
★転害門の建築様式は三間一戸(さんげんいっこ)八脚門(はっきゃくもん)で、屋根が切妻造の本瓦葺です。
★例年10月5日に転害会(てがいえ)が行われています。転害門は手向山八幡宮の御旅所であったことから転害会では神輿が転害門に遷座しています。
【鐘楼(国宝)・梵鐘(国宝)の見どころ解説】
★鐘楼・梵鐘は見逃せません。鐘楼は752年(天平勝宝4年)に鋳造され、奈良次郎(ならじろう)とも言われる梵鐘(ぼんしょう)を釣っています。鐘楼は基本的に僧侶ではなく、大鐘家(おおがねや)が梵鐘を撞きます。明治時代から川邊(かわべ)家が大鐘家を務めています。鐘楼・梵鐘は東大寺鐘として、佐保川蛍・春日野鹿・南円堂藤などとともに南都八景に数えられました。
★鐘楼の歴史は承元年間(1207年~1211年)に大勧進職・明菴栄西(みょうあんえいさい)が再建しました。
★鐘楼の建築様式は屋根が入母屋造の本瓦葺です。
★例年12月31日の除夜の鐘(じょやのかね)の際、鐘木(しゅもく)に8本の小綱を付けて梵鐘を撞き、合計約800人が撞くことができます。
【大仏殿正面にある八角燈籠(国宝)の見どころ解説】
★八角燈籠は大仏殿の正面に建立されています。八角燈籠は火袋が四方に扉を付けた八角形で、雲の中を駆ける獅子(しし)や笛(ふえ)・笙(しょう)などを奏でる天人(てんにん)が浮き彫りにされています。天人は音声菩薩(おんじょうぼさつ)と言われています。
★八角燈籠の歴史は奈良時代(710年~794年)の東大寺創建時に鋳造されたと言われています。1962年(昭和37年)に東北面の羽目板が盗まれ、その後発見されたが、オリジナルが保管され、レプリカが取り付けられています。
★八角燈籠は高さ約4.6メートルの金銅(こんどう)製です。八角燈籠の様式は竿(さお)に燃燈仏の功徳などを説いた仏典の一部が刻まれています。
【地蔵堂と言われる念仏堂(重要文化財)の見どころ解説】
★念仏堂(地蔵堂)は1237年(嘉禎3年)に仏師・康清が造仏した地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像(重要文化財)を安置し、地蔵堂と言われていました。
★念仏堂の歴史は1237年(嘉禎3年)に建立されました。俊乗房重源が1180年(治承4年)の南都焼討で先陣を務めた武将・田口成良(たぐちのしげよし)などの罪を救う為に発願したとも言われています。
★念仏堂の建築様式は屋根が寄棟造の本瓦葺です。念仏堂は元禄年間(1688年~1704年)に錣葺に改められました。
【三月堂南側にある法華堂経庫(重要文化財)の見どころ解説】
★法華堂経庫は三月堂(法華堂)の南側に建立された校倉造の倉庫です。法華堂経庫の南側には御髪塔(おはつとう・十三重石塔)が建立されています。
★法華堂経庫の歴史は平安時代前期(794年~929年)に建立されたと言われています。
★法華堂経庫の建築様式は屋根が寄棟造の本瓦葺です。
【法華三昧が行われた四月堂(重要文化財)の見どころ解説】
★四月堂(三昧堂)の名称は旧暦の4月に法華三昧(ほっけざんまい)を行っていたことに由来しています。四月堂は三昧堂とも言われています。四月堂は普賢菩薩騎象(ふげんぼさつきぞう)像を安置し、普賢三昧堂(ふげんざんまいどう)・普賢堂とも言われています。また本尊・十一面観音立像(重要文化財)や阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(重要文化財)なども安置しています。
★四月堂の歴史は1681年(延宝9年)に再建されました。四月堂は1021年(治安元年)に建立されました。
★四月堂の建築様式は屋根が寄棟造の本瓦葺です。
★四月堂の旧本尊・千手観音(せんじゅかんのん)立像(重要文化財)は東大寺ミュージアムに移されています。
【俊乗房重源を祀る俊乗堂の見どころ解説】
★俊乗堂(しゅんじょうどう)は重源上人(俊乗房重源)坐像(国宝)や快慶(かいけい)作の阿弥陀如来(あみだにょらい)立像などを安置しています。例年7月5日に俊乗忌が行われています。
★俊乗堂の歴史は元禄年間(1688年~1703年)に公慶上人が伽藍の再建に尽力した俊乗房重源の遺徳を称える為に建立しました。
【鑑真和上が戒を授けた戒壇堂(県指定有形文化財)の見どころ解説】
★戒壇堂では754年(天平勝宝6年)に聖武上皇(第45代・聖武天皇)・光明皇太后が戒律を授ける「伝戒の師」として日本に招請された渡来僧・鑑真和上(がんじんわじょう)から戒を授かったと言われています。戒壇堂は中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説に基づく多宝塔があり、その周囲に四天王(広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)・持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん))を安置しています。
★戒壇堂の歴史は1733年(享保18年)に再建されました。戒壇堂は755年(天平勝宝7年)に鑑真和上を招いて創建されたが、度々焼失しました。
【楼門である中門(重要文化財)の見どころ解説】
★中門は二階建ての楼門(ろうもん)です。中門は両側に仏を守護する四天王の内、左に持国天・右に多聞天(兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん))を安置しています。
★中門の歴史は1716年(享保元年)頃に再建されました。
★中門の建築様式は五間三戸(ごけんさんこ)の楼門で、屋根が入母屋造の本瓦葺です。中門は両脇に回廊が伸び、大仏殿の左右に達しています。
【撮影スポットである鏡池の見どころ解説】
★鏡池は集合写真の撮影スポットになっています。紅葉シーズンは美しい光景が見られます。鏡池は大仏殿・中門と南大門の間にあります。鏡池の名称は池に柄(え)付きの鏡のような形をした島があることに由来しています。島には弁財天(べんざいてん)が祀られています。
★鏡池に奈良県の天然記念物であるワタカ(馬魚・ばぎょ)が生息しているそうです。鏡池は2020年放送の「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」で水が抜かれました。
★例年5月の聖武天皇祭の際、池の上に組まれた舞台で舞楽(ぶがく)が奉納されます。
【鎮守社だった手向山八幡宮の見どころ解説】
★手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)は東大寺の鎮守社(守護神)でした。手向山八幡宮は明治維新後の神仏分離によって東大寺から独立しました。
★手向山八幡宮の歴史は大仏造立の際、749年(天平勝宝元年)に大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から勧請され、平城宮の南にあった梨原宮(なしはらのみや)に創建されました。手向山八幡宮は宇佐八幡宮の分社では第一号とされ、鎮守八幡宮とも言われました。
【安土桃山時代に造成された大仏池の見どころ解説】
★大仏池は奈良公園の北側に位置し、正倉院との間辺りにあります。大仏池周辺にはカエデ・イチョウなどが分布し、紅葉シーズンに紅葉の絶景が見られます。
★大仏池の歴史は興福寺(こうふくじ)の僧・英俊(えいしゅん)が記した「多聞院(たもんいん)日記(1576年(天正4年))」によると安土桃山時代(1573年~1603年)に造成されたと言われています。
【東大寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・東大寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

















