東大寺の見どころ完全ガイド|大仏などの観光スポット解説

東大寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット
東大寺は世界遺産に登録された奈良屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。東大寺には奈良の大仏と言われる盧舎那仏坐像をはじめ、本堂である大仏殿、金剛力士を祀る南大門など多彩な見どころが揃っています。このページでは文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。
【大仏(国宝)の見どころ解説|東大寺最大の見どころ】
大仏は東大寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。大仏は奈良の大仏とも言われる盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像で、東大寺を訪れた際に最初にお参りするべき仏様です。大仏は像高約14.98メートルで、間近に近づくと大きさに圧倒されます。盧舎那仏の名称には世界を照らす仏という意味があり、宇宙の真理を体得した釈迦如来(しゃかにょらい)の別名とされています。
★大仏は743年(天平15年)に聖武天皇(しょうむてんのう)が大仏造立の詔を発し、滋賀県の紫香楽宮(しがらきのみや)で鋳造が開始されたが、745年(天平17年)に東大寺に場所を移して鋳造が再開され、752年(天平勝宝4年)に開眼供養会が行われました。855年(斉衡2年)の大地震で頭部が落下し、真如法親王(しんにょほうしんのう)が修復しました。1180年(治承4年)の南都焼討で台座・下半身などの一部を残して焼失し、その後俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が再鋳造し、1185年(文治元年)に開眼供養が行われました。ただ1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦で焼失し、1690年(元禄3年)に頭部が鋳造され、1692年(元禄5年)に開眼供養が行われました。大仏は台座・袖(そで)などが奈良時代(710年~794年)、体の大部分が室町時代(1336年~1573年)末期、頭部が江戸時代(1603年~1868年)に鋳造されたものというのが豆知識です。
【大仏殿(国宝)の見どころ解説|東大寺の本堂】
大仏殿(金堂)は大仏を安置する東大寺の本堂で、必ず訪れるべきスポットです。大仏殿は高さ約46.8メートル・間口約57メートル・奥行約50.5メートルの世界最大級の木造建築物で、圧倒的なスケールを誇ります。大仏に向かって右側前方の柱に大仏の鼻の穴と同じ縦約37センチ・横約30センチの穴があり、北東が鬼門(きもん)に位置することから邪気(じゃき)が通り抜けるようにしたとも言われています。大仏殿の穴はくぐるとその年に良いことがあるとも、頭が良くなるなどとも、無病息災・祈願成就のご利益があるとも言われ、観光客や修学旅行生に大変人気で長い列を作ります。
★大仏殿は8世紀頃(奈良時代)に創建されました。1180年(治承4年)の南都焼討で焼失し、その後俊乗房重源が再建し、1190年(建久元年)に上棟式、1195年(建久6年)に落慶供養が行われました。しかし1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦で焼失し、その後仮の大仏殿が建立されたが、1610年(慶長15年)の暴風で倒壊し。大仏は露座のまま放置されました。現在の大仏殿は江戸時代(1603年~1868年)中期に公慶上人(こうけいしょうにん)が再建を開始し、1705年(宝永2年)に落慶しました。
★大仏殿は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)で、一重もこし付きです。正面に銅板葺(どんばんぶき)の唐破風(からはふ)があります。大仏殿は江戸時代の再建時に巨木の調達が困難になり、柱は芯材(しんざい)の周囲に別材を巻き付けています。明治時代の修復でイギリスのシェルトン・スチール製の鉄骨トラスが大屋根を支えていることが豆知識です。
★大仏殿は例年大晦日から元旦や8月15日の万灯供養会(まんとうくようえ)の際、正面の観相窓(かんそうまど)が開けられ、大仏の顔を外から見ることができます。
【南大門(国宝)の見どころ解説|東大寺の正門】
南大門は東大寺の表玄関(正門)で、訪れるべきスポットです。南大門は高さ約25.46メートルの国内最大級の山門で、圧倒的なスケールです。南大門は左右に運慶(うんけい)・快慶(かいけい)らが造仏した金剛力士(こんごうりきし)像(国宝)2体を安置し、上層の正面中央に扁額「大華厳寺(だいけごんじ)」が掛けられています。金剛力士像は力強く、息をのむほどの迫力を感じ、夕方以降にライトアップされます。
★南大門は奈良時代に創建されたが、962年(応和2年)の台風で倒壊しました。現在の南大門は俊乗房重源が再建し、1199年(正治元年)に上棟し、1203年(建仁3年)に金剛力士像が完成したと言われています。
★南大門は五間三戸(ごけんさんこ)の二重門(にじゅうもん)で、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺です。長さ約21メートルの大円柱が18本使われています。
★金剛力士像2体は像高約8.4メートルで、向かって左側が口を開いた阿形(あぎょう)、右側が口を閉じた吽形(うんぎょう)です。古文書によると1203年(建仁3年)に運慶・湛慶(たんけい・備中法橋)・快慶(安阿弥陀仏)・定覚(じょうがく・越後法橋)らが69日間で、2体同時に造仏したのが豆知識です。快慶は阿形像、運慶は吽形像を中心に造仏したと言われています。
【二月堂(国宝)の見どころ解説|お水取り(修二会)】
二月堂ではお水取り(修二会(しゅにえ))が一度も途切れることなく、1,250年以上続けられ、訪れるべきスポットです。二月堂はいずれも見ることが許されない絶対秘仏で、大観音(おおかんのん)・小観音(こがんのん)と言われる十一面観音(じゅういちめんかんのん)像2体を安置し、例年3月1日から14日に奈良に春を告げるお水取り(修二会)が行われています。二月堂の名称は旧暦の2月に行われる修二会に由来しています。二月堂は24時間参拝可能で、西側に沈む美しい夕日が眺められ、奈良を代表する夕景と言われています。
★二月堂は752年(天平勝宝4年)頃に創建され、1180年(治承4年)の南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦で焼失を免れたが、1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失しました。現在の二月堂は1669年(寛文9年)に再建されました。
★二月堂は山の斜面にせり出すように建てられた懸造(かけづくり・舞台造)で、屋根が寄棟造の本瓦葺です。
★二月堂では752年(天平勝宝4年)に東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟・実忠(じっちゅう)がお水取り(修二会)を始めました。お水取りは幻想的・神秘的で、一生に一度見るべきものです。
【法華堂(国宝)の見どころ解説|天平仏の宝庫】
法華堂は仏像を安置する後部の正堂(しょうどう)と前部の礼堂(らいどう)から構成されています。正堂に本尊・不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)立像(国宝)を安置し、羂索堂と言われました。また法華堂では旧暦の3月に法華会(ほっけえ)を行い、三月堂と言われています。法華堂はいずれも奈良時代に造仏された不空羂索観音・梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)・阿吽(あうん)の金剛力士(こんごうりきし)・四天王(してんのう)などを安置し、天平仏の宝庫と言われていたが、現在は東大寺ミュージアムに移されました。で、
★法華堂は正堂が747年(天平19年)頃に金鐘寺の堂として建立されたと言われています。礼堂は1199年(正治元年)に建立され、鎌倉時代(1185年~1333年)に礼堂が寄棟造から入母屋造に改められ、正堂と繋いでひとつの建物になったと言われています。法華堂は東大寺最古の建物と言われ、歴史的価値があります。
★法華堂は正堂が寄棟造の本瓦葺、礼堂が入母屋造の本瓦葺です。
【開山堂(国宝)の見どころ解説|東大寺の聖域】
開山堂は八角造(はっかくづくり)の厨子(ずし)に東大寺の草創に関わる初代別当・良弁僧正坐像(国宝)を安置し、良弁堂と言われています。例年12月16日に良弁忌が行われ、長らく秘仏とされていた良弁僧正坐像が公開されます。
★開山堂は内陣が1200年(正治2年)、外陣が1250年(建長2年)に建立されました。
★開山堂は大仏様(だいぶつよう)で、屋根が宝形造(ほうぎょうづくり)の本瓦葺です。
【転害門(国宝)の見どころ解説|東大寺最古の門】
転害門は天平時代の遺構で、東大寺最古の門と言われています。転害門は明治時代初期まで東大寺の鎮守社・手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)の御旅所(おたびしょ)でした。転害門の名称は東側に碾磑(てんがい・石臼(いしうす))があったことに由来しています。転害門は平城京(へいじょうきょう)の一条通(佐保路(さほじ))に面していたことから佐保路門と言われ、平景清(たいらのかげきよ)が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝を暗殺する為に隠れた伝承から景清門とも言われています。
★転害門は天平宝字年間(757年~765年)頃に建立され、鎌倉時代に修理されたと言われています。転害門は1180年(治承4年)の南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦で焼失を免れ、歴史的価値があります。
★転害門は三間一戸(さんげんいっこ)八脚門(はっきゃくもん)で、屋根が切妻造の本瓦葺です。
【鐘楼(国宝)・梵鐘(国宝)の見どころ解説|日本三大梵鐘】
鐘楼は知恩院の梵鐘・方広寺の梵鐘とともに日本三大梵鐘に数えられ、奈良次郎(ならじろう)と言われる梵鐘(ぼんしょう)を釣っています。梵鐘は東大寺鐘として、佐保川蛍・春日野鹿・南円堂藤などとともに南都八景に数えられました。梵鐘は基本的に僧侶ではなく、大鐘家(おおがねや)が撞くことが豆知識です。明治時代から川邊(かわべ)家が大鐘家を務めています。
★鐘楼は承元年間(1207年~1211年)に明菴栄西(みょうあんえいさい)が再建しました。梵鐘は752年(天平勝宝4年)に鋳造されました。
【本坊経庫(国宝)・法華堂経庫(重要文化財)の見どころ解説】
本坊経庫は南大門を入った右側に位置する本坊にある校倉造(あぜくらづくり)の倉庫です。本坊は東大寺で別格の存在だった子院(院家(いんげ))・東南院(とうなんいん)だったが、廃絶しました。法華堂経庫は三月堂の南側にある校倉造の倉庫です。
★本坊経庫は奈良時代(710年~793年)に上司(かみつかさ)と言われる場所に建立され、1714年(正徳4年)に東南院に移されました。法華堂経庫は平安時代前期(794年~929年)に建立されたと言われています。
★本坊経庫・法華堂経庫は寄棟造の本瓦葺です。
【四月堂・念仏堂・中門(重要文化財)の見どころ解説】
東大寺にはいずれも重要文化に指定されている四月堂・念仏堂・中門があり、見逃せないスポットです。
★四月堂の名称は旧暦の4月に法華三昧(ほっけざんまい)を行っていたことに由来し、また三昧堂とも言われています。四月堂は普賢菩薩騎象(ふげんぼさつきぞう)像を安置し、普賢三昧堂(ふげんざんまいどう)・普賢堂とも言われています。四月堂は本尊・十一面観音立像(重要文化財)なども安置しています。四月堂は1681年(延宝9年)に再建されました。四月堂は寄棟造の本瓦葺です。
★念仏堂は1237年(嘉禎3年)に仏師・康清が造仏した地蔵菩薩(じぞうぼさつ)坐像(重要文化財)を安置し、地蔵堂と言われていました。念仏堂は1237年(嘉禎3年)に建立されました。念仏堂は寄棟造の本瓦葺です。
★中門(南中門)は二階建ての楼門(ろうもん)で、両側に持国天(じこくてん)・多聞天(たもんてん・兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん))を安置しています。中門は1716年(享保元年)頃に再建されました。中門は五間三戸(ごけんさんこ)の楼門で、屋根が入母屋造の本瓦葺です。
【戒壇堂(県指定有形文化財)・俊乗堂の見どころ解説】
東大寺には戒壇堂・俊乗堂があります。
★戒壇堂では754年(天平勝宝6年)に聖武上皇・光明皇太后が戒律を授ける「伝戒の師」として招請された渡来僧・鑑真和上(がんじんわじょう)から戒を授かったと言われています。戒壇堂は中央に「法華経見宝塔品(けんほうとうほん)」の所説に基づく多宝塔があり、内部に多宝如来(たほうにょらい)・釈迦如来が祀られています。戒壇堂は1733年(享保18年)に再建されました。
★俊乗堂(しゅんじょうどう)は重源上人(俊乗房重源)坐像(国宝)や快慶(かいけい)作の阿弥陀如来(あみだにょらい)立像などを安置しています。重源上人坐像は重源上人が86歳で亡くなった直後に制作され、鎌倉時代の肖像彫刻の傑作と言われています。俊乗堂は1704年(宝永元年)の重源五百年遠忌に公慶上人が俊乗房重源の遺徳を称える為に建立しました。
【鏡池・大仏池の見どころ解説|東大寺の撮影スポット】
鏡池は南大門と中門の間にあり、観光客や修学旅行生の集合写真の撮影スポットになっています。鏡池の名称は池に柄(え)付きの鏡のような形をした島があることに由来しています。島には弁財天(べんざいてん)が祀られています。大仏池は奈良公園の北側に位置し、東大寺と正倉院の間辺りにあります。大仏池は紅葉の撮影スポットになっており、赤や黄色に色付いたカエデ・イチョウの絶景が見られます。
★鏡池には奈良県の天然記念物であるワタカ(馬魚・ばぎょ)が生息しているそうです。2020年放送の「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」で水が抜かれました。例年5月の聖武天皇祭の際、池の上に組まれた舞台で舞楽(ぶがく)が奉納されます。
★大仏池は興福寺(こうふくじ)の僧・英俊(えいしゅん)が記した「多聞院(たもんいん)日記」によると安土桃山時代(1573年~1603年)に造成されたと言われています。
【東大寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
東大寺では例年1月1日(0:00~8:00)と8月13日・14日(19:00~21:00)に夜間無料で参拝でき、昼間と違った光景が見られ、見どころになっています。また例年3月1日から14日にお水取り(修二会)、8月15日に万灯供養会も行っており、幻想的な光景が見られます。
●住所:奈良県奈良市雑司町406-1
●アクセス:近鉄奈良線の「近鉄奈良駅」下車徒歩約4分、JR西日本の「奈良駅」下車徒歩約8分、奈良交通市内循環バス外回り系統で「東大寺大仏殿・春日大社前」下車徒歩約5分
*参考・・・東大寺(見どころ・アクセス・・・)公式ホームページ














