奈良ハス名所・見ごろ(唐招提寺・薬師寺・・・)
奈良ハス名所
奈良ハス名所・見ごろを紹介しています。奈良には唐招提寺(奈良市)・薬師寺(奈良市)・喜光寺(奈良市)・西大寺(奈良市)・藤原宮跡(橿原市)・生蓮寺(五條市)などのハスの名所があります。唐招提寺では金堂前や本坊前庭などに唐招提寺蓮・奈良蓮・大賀蓮・中日友誼蓮・ネール蓮など約50種・約130鉢が置かれます。
【ハス 基礎知識】
蓮はインド原産のハス科の多年性水生植物です。蓮は古くに中国大陸から日本に渡来し、食用の蓮根(レンコン)や観賞用の花ハス(はなはす)として、日本各地の池・沼・水田などで栽培されるようになりました。蓮の花は蓮華(れんげ)と言われ、その名称は仏教とともに中国から日本に伝来したとも言われています。蓮は泥水の中から清浄な美しい花を咲かせることから仏の知恵や慈悲の象徴とされています。また蓮は泥より出でて、泥に染まらずと称され、清らかさや聖性の象徴ともされています。蓮の花は径10~25センチ、花弁が20数枚で、芳香があります。なお蓮の花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。
【唐招提寺ハス】
唐招提寺では金堂前や本坊前庭などに唐招提寺蓮・奈良蓮・大賀蓮・中日友誼蓮・ネール蓮など約50種・約130鉢が置かれます。また唐招提寺では境内2ヶ所の池でハスが生育されています。唐招提寺のハス見ごろは例年6月下旬頃から8月中旬頃です。
唐招提寺は759年(天平宝字3年)に唐(中国)の渡来僧・鑑真和上が第40代・天武天皇の第7皇子・新田部親王の宅跡を朝廷から下賜され、戒律を学ぶ修行道場として創建したのが起源です。唐招提寺の名称には唐から来日した鑑真和上の為の寺という意味があるそうです。当初、唐招提寺は新田部親王の旧宅を改造した経蔵・宝蔵や講堂などだけだったが、8世紀後半に鑑真和上の弟子・如宝が金堂を完成させました。平安時代中期に一時荒廃したが、1244年(寛元2年)に第87代・四条天皇から崇敬された律宗の高僧・覚盛が再興しました。
唐招提寺ハス見ごろ・唐招提寺見どころ
【薬師寺ハス】
薬師寺では鐘楼周辺や大講堂と食堂の間に大賀蓮など約250鉢のハスが置かれます。ハス見ごろは例年6月下旬頃から8月中旬頃です。
薬師寺は680年(天武天皇9年)に第40代・天武天皇が皇后・鵜野讃良(持統天皇)の病気平癒を祈願する為に発願し、百僧を得度(出家)させ、藤原京右京八条三坊に創建されました。688年(持統天皇2年)に無遮大会が行われ、698年(文武天皇2年)に伽藍がほぼ完成したと言われています。710年(和銅3年)の平城京遷都後に現在の場所である西ノ京に移されたと言われています。973年(天禄4年)の火災や1528年(享禄元年)の筒井順興の兵火によって多くの伽藍を焼失し、創建当初の建物は東塔だけになりました。
薬師寺ハス見ごろ・薬師寺見どころ
【喜光寺ハス】
喜光寺では本堂の周囲に大賀蓮・藤壺蓮・漢蓮・原始蓮・白光蓮・舞妃蓮など約80種・約250鉢が置かれます。ハス見ごろは例年6月下旬頃から8月上旬頃です。
喜光寺は721年(養老5年)に僧・行基が創建したと言われています。「行基年譜(1175年(安元元年))」によると行基が721年(養老5年)に寺史乙丸から住居を寄進され、翌722年(養老6年)に寺に改めたと言われています。喜光寺は「菅原寺記文遺戒状」によると715年(霊亀元年)に第43代・元明天皇の勅願によって創建されたとも言われています。中世に興福寺・一乗院に属しました。戦国時代に兵火によって伽藍の多くを焼失したが、間もなく再建されたと言われています。喜光寺は菅原邑が菅原氏の治領だったことから菅原寺とも言われています。
喜光寺ハス見ごろ
【西大寺ハス】
西大寺では本堂前の東塔跡の周囲に約100鉢のハスが置かれます。ハス見ごろは例年6月中旬頃から8月上旬頃です。
西大寺は764年(天平宝字8年)に孝謙上皇(第46代・孝謙天皇)が藤原仲麻呂の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に第48代・称徳天皇となった孝謙上皇が四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇が平城京の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰を開山として西大寺が創建されました。ちなみに鎮護国家の為に四天王像を祀るのは金光明最勝王経に基づくものと言われています。
西大寺ハス見ごろ
【藤原宮跡ハス】
藤原宮跡では蓮ゾーンに古代蓮・唐招提寺蓮・法華寺蓮・中国古代蓮・碧台蓮・大賀蓮・皇居和蓮・小舞妃蓮・即非蓮・中型蓮・粉松球蓮など11種のハスが植えられています。ハス見ごろは例年7月中旬頃から8月上旬頃です。
藤原宮跡は藤原京の中にあった宮殿・藤原宮の跡です。藤原宮は広さが約1キロ四方で、周囲が高さ約5メートルの塀で囲まれ、東西南北にそれぞれ3か所の門、合計12か所の門がありました。藤原宮には政治・儀式などを行う大極殿・朝堂院や天皇の住まいである内裏などがあり、694年(持統天皇8年)から710年(和銅3年)までの約16年間に第41代・持統天皇、第42代・文武天皇、第43代・元明天皇が宮居しました。藤原京は710年(和銅3年)の平城京遷都後の711年(和銅4年)に焼失したとも言われています。
藤原宮跡ハス見ごろ
【生蓮寺ハス】
生蓮寺では境内に生蓮寺だけで栽培されている遅咲きの蓮・生蓮寺白彼岸蓮など約120種・約300鉢のハスが栽培されています。ハス見ごろは例年6月中旬頃から8月下旬頃です。
生蓮寺は伝承によると平安時代初期に参議・小野篁が第52代・嵯峨天皇の命により、檀林皇后(橘嘉智子)の安産祈願・皇子誕生の為に地蔵菩薩を安置したのが起源と言われています。その後真言宗の宗祖である弘法大師・空海が高野山を開創する際、生蓮寺に立ち寄り、一尺八寸の小地蔵を自ら刻んで本尊の胎内に安置し、開眼供養で道中安全・諸悪退散・所願成就を祈念したと言われています。江戸時代中期の1738年(元文3年)に諸堂が再建されたが、その後荒廃し、大正時代に再興されました。
生蓮寺ハス見ごろ