西大寺ハス見ごろ2024(6月中旬~8月上旬頃)
西大寺ハス見ごろ(見頃)
西大寺ハス見ごろ(時期・イベント・・・)情報を紹介しています。西大寺では本堂前の東塔跡の周囲に約100鉢のハスが置かれ、白や淡いピンク色の花を咲かせます。ハスは早朝に咲き、昼頃には閉じます。なお西大寺は喜光寺・唐招提寺・薬師寺とともに奈良・西ノ京ロータスロードを構成しています。(詳細下記参照)
【西大寺ハス見ごろ(例年時期)】
西大寺のハス見ごろは例年6月中旬頃から8月上旬頃です。ただハスの見ごろはその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良ハス名所・見ごろ
【西大寺ハス見ごろ アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
最寄り駅・バス停・・・大和西大寺駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
路線・時刻表・運賃チェック
【西大寺ハス見ごろ(例年時期)・見どころ 簡単概要】
西大寺はハス(蓮)の名所です。西大寺は喜光寺・唐招提寺・薬師寺とともに奈良・西ノ京ロータスロード(四ヶ寺)を構成しています。西大寺のハス見ごろは例年6月中旬頃から8月上旬頃です。
西大寺では本堂(重要文化財)前の東塔跡の周囲に約100鉢のハスが置かれ、白や淡いピンク色の花を咲かせます。なおハスは早朝に咲き、昼頃には閉じます。
東塔跡には基壇と礎石が残されています。西大寺では八角七重塔の東塔・西塔が計画されていたが、奈良時代末期の緊縮財政で縮小され、四角五重塔の東塔・西塔が建立されました。西塔は平安時代中期の928年(延長6年)の雷火で焼失したと言われています。東塔は平安時代末期に修造され、鎌倉時代に塔供養が行われたが、戦国時代(室町時代後期)の1502年(文亀2年)に焼失しました。
本堂は鎌倉時代に東塔北側に建立されていた光明真言堂の後身で、江戸時代後期の1799年(寛政11年)に再建されました。本堂は桁行七間・梁間五間で、寄棟造の本瓦葺です。本堂は鎌倉時代前期の1249年(建長元年)に仏師・善慶が造仏した本尊・釈迦如来立像(重要文化財)を安置しています。
蓮はインド原産のハス科の多年性水生植物です。蓮は古くに中国大陸から日本に渡来し、食用の蓮根(レンコン)や観賞用の花ハス(はなはす)として、日本各地の池・沼・水田などで栽培されるようになりました。蓮の花は蓮華(れんげ)と言われ、その名称は仏教とともに中国から日本に伝来したとも言われています。蓮は泥水の中から清浄な美しい花を咲かせることから仏の知恵や慈悲の象徴とされています。また蓮は泥より出でて、泥に染まらずと称され、清らかさや聖性の象徴ともされています。ちなみに極楽浄土の池には青・黄・赤・白色の車輪のような大きな蓮の花が咲いていると言われているそうです。蓮は夏に水上に花茎を伸ばし、紅・淡紅・ピンク色・白色などの花を咲かせます。蓮の花は径10~25センチ、花弁が20数枚で、芳香があります。なお蓮の花は早朝に咲き、昼頃には閉じます。
【西大寺 歴史・簡単概要】
西大寺(さいだいじ)は奈良時代後期の764年(天平宝字8年)に孝謙上皇(第46代・孝謙天皇(こうけんてんのう))が藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ・恵美押勝(えみのおしかつ))の乱の鎮圧を祈願する為、鎮護国家の守護神とされる四天王(してんのう)像の造仏を誓願し、翌765年(天平神護元年)に第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)となった孝謙上皇が四天王像を造仏したのが起源とも言われています。その後称徳天皇(孝謙上皇)の勅願により、称徳天皇の父で、第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が平城京の東に東大寺を創建したように平城京の西に僧・常騰(じょうとう)を開山として西大寺が創建されました。ちなみに鎮護国家の為に四天王像を祀るのは金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)に基づくものと言われています。ただ794年(延暦13年)の平安京遷都後には災害に見舞われたし、平安時代中期以降に衰退し、鎌倉時代後期の1235年(文暦2年)に入住した興正菩薩叡尊上人(こうしょうぼさつえいそんしょうにん)が再興しました。しかし戦国時代(室町時代後期)の1502年(文亀2年)の火災で伽藍の多くを焼失し、江戸時代に江戸幕府から寄進によって再建されました。なお1895年(明治28年)に真言宗から独立し、真言律宗を開祖しました。
西大寺は真言律宗の総本山です。
*参考・・・西大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【西大寺ハス見ごろ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
西大寺(アクセス・見どころ・・・)情報