法隆寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

法隆寺(Horyu-ji Temple)

法隆寺の見所は夢殿・五重塔・金堂・大講堂

法隆寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が奈良時代に行信僧都が聖徳太子を偲んで、一族の斑鳩宮の旧地に建立した夢殿(国宝)、2位が飛鳥時代に再建され、国内最古の五重塔(国宝)、3位が金堂(国宝)です。番外は大講堂です。(詳細下記参照)

法隆寺見どころ一覧(西院伽藍)法隆寺見どころ一覧(東院伽藍等)

【奈良時代に建立され、1,300年近い歴史がある夢殿(国宝)の見所】

夢殿は奈良時代(710年~794年)前期に建立され、その後焼失などを免れたことから1,300年近い歴史があります。本尊・観音菩薩立像は飛鳥時代(592年~710年)に造仏され、1,300年以上の歴史があります。夢殿は最大径約11.3メートルの高い二重基壇の上に建立され、その周りを回って拝観するのがおすすめです。回って拝観すると八角円堂である夢殿の形を実感することができます。また鎌倉時代(1185年~1333年)に屋根の勾配が急こう配に変更されたことや頂上の露盤宝珠も確認できます。ちなみに奈良時代(710年~794年)の八角円堂は夢殿と奈良県五條市・栄山寺の八角堂(国宝)だけです。夢殿は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の旧地に建立され、歴史を感じるのもいいかもしれません。ちなみに夢殿では春季(4月中旬頃~5月中旬頃)・秋季(10月中旬頃~11月中旬頃)に夢殿本尊特別開帳が行われています。(要確認)なお夢殿は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。

  • 歴史-夢殿は奈良時代(710年~794年)前期の739年(天平11年)に行信僧都が聖徳太子を偲び、聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の旧地に建立した言われています。8世紀末(奈良時代後期~平安時代初期)頃には「夢殿」と言われていたそうです。その後度々修理が行われ、鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1230年(寛喜2年)に屋根勾配を急にするなどの修理が行われました。ただ天平時代(建立当初)の姿に復元することもできるほど古材が残されているそうです。なお法隆寺では1934年(昭和9年)から夢殿などを含む伽藍で昭和の大修理も行われました。
  • 仏像-夢殿は厨子に聖徳太子の等身像と言われている本尊・観音菩薩立像(国宝)を安置しています。また行信僧都坐像(国宝)・道詮律師坐像(国宝)・聖観音立像(重要文化財)も安置しています。
  • 重要人物-聖徳太子は574年(敏達天皇3年)に第31代・用明天皇と穴穂部間人の子として生まれました。幼少時から聡明で、仏法を尊んだと言われています。585年(用明天皇元年)に第30代・敏達天皇が崩御すると父が用明天皇に即位したが、 587年(用明天皇2年)に崩御しました。593年(崇峻天皇5年)に叔母で、史上初の女帝である第33代・推古天皇が即位すると皇太子・摂政になり、蘇我馬子ととともに天皇を補佐しました。聖徳太子は内政・外交などの政治に尽力し、603年(推古天皇11年)に冠位十二階、604年(推古天皇12年)に十七条憲法を制定し、607年(推古天皇15年)に小野妹子を遣隋使として派遣しました。また聖徳太子建立七大寺(法隆寺(斑鳩寺)・広隆寺(蜂丘寺)・法起寺(池後寺)・四天王寺・中宮寺・橘寺・葛木寺)と言われる寺院を創建したり、「三経義疏」を著したりしました。聖徳太子は622年(推古天皇30年)に亡くなりました。
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【飛鳥時代に再建され、1,300年以上の歴史がある五重塔(国宝)の見所】

五重塔は飛鳥時代(592年~710年)に再建され、その後焼失などを免れたことから1,300年以上の歴史があります。五重塔は国内最古の五重塔と言われています。五重塔は近付いて拝観するのがおすすめです。近付いて拝観すると高さ約31.5メートルの五重塔の高さを感じることができます。また五重(最上部)の屋根の一辺が初重の屋根の約半分になっていることも確認しましょう。ただ初重の屋根には裳階が付いています。ちなみに五重塔は初重の屋根から五重の屋根までの大きさの逓減率が大きくなっています。なお五重塔は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。

  • 歴史-五重塔は飛鳥時代(592年~710年)前期の607年(推古天皇15年)の創建時に建立されたが、670年(天智9年)に焼失し、その後7世紀後半(飛鳥時代)に再建されたと言われています。五重塔は日本国内最古、世界最古の五重塔と言われています。なお1926年(大正15年)に心礎内からガラス製の舎利壺とそれを納める金・銀・響銅製の容器からなる舎利容器が発見され、調査後に元に戻されました。
  • 仏像-五重塔は初層内陣に仏教の開祖・お釈迦様に関する4つの説話に由来する塔本四面具(国宝)と言われる塑造(そぞう)の群像を安置しています。東面に文殊菩薩と維摩居士、西面に分舎利、南面に弥勒浄土、北面に釈迦の涅槃があります。五重塔(仏塔)は古代インドでお釈迦様の遺骨・仏舎利を祀るストゥーパを起源としていることも感じられるかもしれません。

【飛鳥時代に再建され、1,300年以上の歴史がある金堂(国宝)の見所】

金堂は飛鳥時代(592年~710年)に再建され、その後焼失などを免れたことから1,300年以上の歴史があります。本尊・釈迦三尊像は約1,400年の歴史があります。金堂は一般的に本堂とも言われ、寺院の中で主要な伽藍です。金堂は桁行五間・梁間四間の周りを回りながら拝観するのがおすすめです。回って拝観するとその大きさを実感することができます。ちなみに金堂は三つ屋根があるように見えるが、一番下は裳階です。金堂は二階の屋根の軒を支える四方の柱も眺めましょう。四方の柱には龍(昇り龍・降り龍)の彫刻が刻まれています。四方の柱は江戸時代(1603年~1868年)中期の元禄年間(1688年~1704年)に取り付けられたとも言われています。なお金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。

  • 歴史-金堂は飛鳥時代(592年~710年)前期の607年(推古天皇15年)の創建時に建立されたが、670年(天智9年)に焼失し、その後7世紀後半(飛鳥時代)に再建されたと言われています。1949年(昭和24年)に解体修理中の壁画模写作業中に火災が発生し、壁画と柱が焼損しました。ちなみに焼損した壁画は公開されていないが、世界遺産登録を記念し、1994年(平成6年)に特別公開されました。なお2004年(平成16年)に奈良文化財研究所は年輪年代測定によると金堂などに使われている部材が650年代末から690年代末に伐採されたと発表しました。
  • 仏像-金堂は釈迦三尊像(国宝)・薬師如来坐像(国宝)・阿弥陀三尊像(重要文化財)・四天王立像(国宝)・毘沙門天立像と吉祥天立像(国宝)を安置しています。釈迦三尊像は渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)が造仏し、杏仁形の眼・太い耳朶など大陸風の像容になっています。

【平安時代に再建され、1,000年以上の歴史がある大講堂(国宝)の見所】

大講堂は平安時代(794年~1185年)中期に再建され、1,000年以上の歴史があります。大講堂は西院伽藍で、金堂(国宝)・五重塔(国宝)の北側に建立されています。大講堂は桁行九間・梁間四間で、法隆寺最大の建物とも言われ、近付くとその大きさを感じることができます。大講堂は現在桁行が九間だが、創建時・再建時は八間で、江戸時代(1603年~1868年)中期の元禄年間(1688年~1704年)の修理の際に西側に増築されて九間に改修され、昭和の大修理でもそのまま九間になっており、その歴史も感じることができます。ちなみに2009年(平成21年)~2011年(平成23年)に行われた屋根の葺き替え工事の際、大講堂は東西約49メートル・南北約32メートル・高さ約20メートルの覆屋に覆われ、3月に2年間の工事が完了しました。なお大講堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。

  • 歴史-大講堂は平安時代(794年~1185年)前期の925年(延長3年)に鐘楼とともに落雷で焼失し、その後平安時代中期の990年(正暦元年)に再建されたと言われています。大講堂はかつて食堂が建立されていた場所で、奈良時代(710年~794年)中期の747年(天平19年)以降に講堂に改められたとも言われています。
  • 仏像-大講堂は本尊・薬師三尊(やくしさんぞん)像(国宝)・四天王(してんのう)像(重要文化財)を安置しています。

【法隆寺 備考】
*参考・・・法隆寺(見所・アクセス・・・)ホームページ

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