東大寺見所ランキング-修学旅行・観光で必見

東大寺の国宝・重要文化財などの見所紹介
東大寺の見所ランキングを紹介します。見所は1位が奈良時代に鋳造され、頭部が江戸時代中期に鋳造された盧舎那仏坐像(国宝)、2位が江戸時代中期に再建された大仏殿(国宝)、3位が江戸時代前期に再建された二月堂(国宝)です。番外は南大門です。(詳細下記参照)
- 奈良時代に鋳造され、1,250年以上の歴史がある盧舎那仏坐像(国宝)
- 江戸時代に再建され、300年以上の歴史がある大仏殿(国宝)
- 江戸時代に再建され、350年以上の歴史がある二月堂(国宝)
- 鎌倉時代に再建され、800年以上の歴史がある南大門(国宝)
【奈良時代に鋳造され、1,250年以上の歴史がある盧舎那仏坐像(国宝)の見所】
- 概略-盧舎那仏坐像(奈良の大仏)は奈良時代(710年~794年)に鋳造されたが、その後平安時代(794年~1185年)後期の南都焼討や戦国時代(1493年~1590年)の松永・三好の合戦に見舞われ、1,250年以上前の当初ものは台座・袖などだけです。盧舎那仏盧舎那仏坐像は大仏殿内に祀られていることから大仏殿内に入って拝観します。ただ大晦日(12月31日)から元旦(1月1日)と8月15日の万灯供養会(まんとうくようえ)の夜には大仏殿の観相窓(桟唐戸)が開かれ、盧舎那仏坐像の顔を外から拝観することができます。ちなみに1月1日の0:00~8:00と8月13日・14日19:00~21:00は無料で拝観することができます。(要確認)盧舎那仏坐像は距離を変えて、遠くから拝観したり、近づいて拝観したりするのがおすすめです。近づくと盧舎那仏坐像の像高約14.98メートル・両膝の幅約12.08メートル、そして蓮華座高約3メートルを実感できます。ちなみに顔は長さ約6.70メートル・幅約3.20メートル、そして右手の掌は長さ約2.56メートルです。なお盧舎那仏坐像は8月7日7:00から大仏さまお身拭いが行われ、埃が払われた姿を拝観することができます。
- 歴史-盧舎那仏坐像は奈良時代(710年~794年)の745年(天平17年)8月23日から鋳造が開始され、752年(天平勝宝4年)4月9日に大仏開眼供養会が行われました。ちなみに第45代・聖武天皇は743年(天平15年)11月5日にが近江国・紫香楽宮で大仏造立の詔を発し、紫香楽宮近くの甲賀寺で盧舎那仏坐像の建立が始まりました。しかし平安時代(794年~1185年)後期の1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で台座・下半身などの一部を残して焼失しました。その後再鋳造され、1185年(文治元年)に開眼供養が行われました。ただ戦国時代(1493年~1590年)の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦(東大寺大仏殿の戦い)で再び焼失しました。江戸時代(1603年~1868年)中期の1690年(元禄3年)に頭部が再々鋳造され、1692年(元禄5年)に開眼供養が行われました。なお盧舎那仏坐像は台座・袖(そで)などが当初のものだが、体の大部分が戦国時代(室町時代後期)、頭部が江戸時代に鋳造されました。なお盧舎那仏坐像は1958年(昭和33年)2月8日に国宝に指定されました。
- 豆知識-盧舎那仏坐像は頭のブツブツを螺髪(らほつ)と言います。最初に鋳造された盧舎那仏坐像には966個あったが、江戸時代(1603年~1868年)中期に再々鋳造された現在の盧舎那仏坐像には492個あります。最初の螺髪は749年(天平勝宝元年)12月に鋳造が開始され、751年(天平勝宝3年)6月に完成しました。なお現在の螺髪は渦巻き状の形をしており、直径約22センチ・高さ約21センチ・重さ約1.2キロあります。
【江戸時代に再建され、300年以上の歴史がある大仏殿(国宝)の見所】
- 概略-大仏殿は江戸時代(1603年~1868年)中期に再建され、300年以上の歴史があります。大仏殿は正面幅約57.5メートル・奥行き約50.5メートル・棟高約49.1メートルで、世界最大級の木造建築物とも言われています。大仏殿はその大きさから東大寺周辺からも一部を見ることができます。大仏殿は盧舎那仏坐像を拝観する際に近付いて拝観するのがおすすめです。近付くとその大きさを実感することができます。ちなみに大仏殿は一見二階建てに見えるが、屋根の下にもう一つの屋根である裳階(もこし)が付けられています。大仏殿の柱総数60本の内、北東の柱には盧舎那仏坐像の鼻の穴と同じ大きさと言われる穴(縦約37センチ・横約30センチ)があり、柱の穴くぐるとその年に良いことがあるとも、頭が良くなるなどとも言われています。また無病息災・祈願成就のご利益があるとも言われています。なお大仏殿の柱は江戸(1603年~1868年)の再々建時に調達できず、柱は12角形の1本の真柱(槻(つき))を12本の捌木(檜板)で寄せ合わせ、ニカワ(接着剤)で接着し、鉄の胴輪で締め付け、鉄釘(犬釘)が打ち込まれています。
- 歴史-大仏殿は奈良時代(710年~794年)中期の747年(天平19年)から建立が開始され、751年(天平勝宝3年)に完成し、771年(宝亀2年)12月に副柱44本で補強されました。しかし平安時代(794年~1185年)後期の1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で焼失しました。その後1190年(建久元年)に再建され、1195年(建久6年)に落慶法要が行われ、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝らが参列しました。ただ戦国時代(1493年~1590年)の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦(東大寺大仏殿の戦い)でも再び焼失しました。江戸時代(1603年~1868年)中期の1684年(貞享元年)から再々建の勧進活動が開始され、1705年(宝永2年)に落慶しました。重さ約3,020トンの屋根を支える2本の虹梁(こうりょう)は1704年(宝永元年)に宮崎・白鳥神社から東大寺まで9ヶ月を掛けて陸路・海路で運搬されました。ちなみに盧舎那仏坐像は約120年間雨ざらしにされていたそうです。1879年(明治12年)~1915年(大正4年)と1973年(昭和48年)~1980年(昭和55年)に修理が行われました。なお大仏殿は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
- 豆知識-創建時の大仏殿は「東大寺要録」の「大仏殿碑文」によると正面幅29丈(約85.8メートル)・奥行き17丈(約50.3メートル)・棟高12丈6尺(約37メートル)だったそうです。大仏殿は財政困難の理由で、桁行が11間(約88メートル)から7間(約57メートル)に縮小されました。
【江戸時代に再建され、350年以上の歴史がある二月堂(国宝)の見所】
- 概略-二月堂は江戸時代(1603年~1868年)前期に再建され、350年以上の歴史があります。二月堂では春の風物詩となっていあるお水取りが奈良時代(710年~794年)に始まり、1,200年以上続けられています。二月堂は大仏殿・盧舎那仏坐像と異なり、24時間無料で拝観することができます。ただ夜間は特に騒がないように呼び掛けられています。二月堂は大仏殿東側の丘陵地に建立され、拝観する際に下から二月堂を見上げることができるが、二月堂の舞台から西側を眺めるのがおすすめです。舞台からは大仏殿・興福寺の五重塔や奈良市内・奈良盆地、そして生駒山などを眺めるのおすすめです。ちなみに二月堂からは夕景が特に美しいと言われています。お帰りの際には足元に注意しましょう。神鹿の落とし物に注意。なお二月堂には参籠所(重要文化財)・閼伽井屋(重要文化財)・仏餉屋(重要文化財)・湯屋が付属し、興成社(こうじょうしゃ)・遠敷社(おにゅうしゃ)・飯道社(いいみちしゃ)の鎮守社があり、それらも一緒に拝観するのがおすすめです。
- 歴史-二月堂は奈良時代(710年~794年)中期の752年(天平勝宝4年)頃に建立され、平安時代(794年~1185年)後期の1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討や戦国時代(1493年~1590年)の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦(東大寺大仏殿の戦い)では焼失を免れました。しかし江戸時代(1603年~1868年)前期の1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。なお二月堂は1944年(昭和19年)9月5日に国の重要文化財、2005年(平成17年)12月27日に国宝に指定されました。
- お水取り-二月堂では752年(天平勝宝4年)から実忠和尚(じっちゅうかしょう)がお水取り(修二会)を始め、その後一度も途切れることなく、1,200年以上続けられています。お水取りは奈良に本格的な春の訪れを告げる行事とも言われています。
【鎌倉時代に再建され、800年以上の歴史がある南大門(国宝)の見所】
- 概略-南大門は鎌倉時代(1185年~1333年)前期に再建され、800年以上の歴史があります。安置されている仁王像(金剛力士像)も同時期に造仏され、800年以上の歴史があります。南大門は大仏殿(国宝)に通じる参道に建立されている正門です。南大門は高さ約25.46メートルの五間三戸(ごけんさんこ)の二重門(にじゅうもん)で、国内最大の山門とも言われ、遠くからでもその大きさが分かります。また近付くとその大きさ・高さがより分かります。南大門には長さ約21メートルの大円柱が18本も使われ、下層は天井がなく腰屋根(こしやね)構造になっており、上層と下層の間に高さ約1.65メートル・横幅約4.5メートル・重さ約500キロの扁額「大華厳寺」が掛けられています。ちなみに「大華厳寺」の文字は第45代・聖武天皇の写経から集字されました。
- 歴史-南大門は鎌倉時代(1185年~1333年)前期の1199年(正治元年)に俊乗房重源が再建し、1203年(建仁3年)に仁王(におう)像が完成したと言われています。南大門はかつて奈良時代(710年~794年)の創建時に建立されたが、平安時代(794年~1185年)中期の962年(応和2年)の台風で倒壊しました。なお南大門は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
- 仏像-南大門は像高約8.4メートルの仁王像2体を安置しています。仁王像2体は大仏師・運慶(うんけい)が嫡男の湛慶(たんけい)・快慶(かいけい)・定覚(じょうがく)など約20人の仏師を率いて、69日間で2体同時に造仏したと言われています。仁王像2体の内、南大門の向かって左側の口を開いた阿形(あぎょう)像は運慶、右側の口を閉じた吽形(うんぎょう)像は快慶が中心になって造仏したと言われています。
【東大寺見所 備考】
*参考・・・東大寺(見所・アクセス・・・)ホームページ