大官大寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)

大官大寺跡

大官大寺跡(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。大官大寺の前身である熊凝精舎を建立した聖徳太子は用明天皇の皇子として生まれ、叔母・推古天皇が即位すると皇太子・摂政になって補佐し、冠位十二階・十七条憲法を制定したり、法隆寺(斑鳩寺)など聖徳太子建立七大寺を創建しました。

【大官大寺跡 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県高市郡明日香村奥山
最寄り駅・バス停・・・明日香小山(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。
*橿原神宮前駅から奈良交通
路線・時刻表・運賃チェック

【大官大寺跡 拝観時間・時間(要確認)】
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【大官大寺跡 拝観料金・料金(要確認)】
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【大官大寺跡 歴史・簡単概要】
大官大寺跡(だいかんだいじあと)は奈良県高市郡明日香村奥山にあります。大官大寺は第31代・用明天皇(ようめいてんのう)の第2皇子・聖徳太子(しょうとくたいし・厩戸皇子(うまやどのおうじ))が仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に倣って、平群に建立した熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が起源と言われています。その後第34代・舒明天皇(じょめいてんのう)が百済川畔に移して百済大寺(くだらのおおてら)になり、673年(天武天皇2年)に第40代・天武天皇(てんむてんのう)が飛鳥に移して高市大寺(たけちのおおてら)になり、677年(天武天皇6年)に天皇の寺という意味から大官大寺になりました。686年(朱鳥元年)に天武天皇の病気回復の祈願が行われ、第41代・持統天皇(じとうてんのう)の時代(686年(朱鳥元年)~697年(持統天皇11年))に梵鐘が鋳造され、第42代・文武天皇(もんむてんのう)の時代(697年(文武天皇元年)~707年(慶雲4年))に九重塔・金堂などが建立されたました。大官大寺は国を守護する飛鳥時代最大の大寺と言われています。ちなみに発掘調査により、大官大寺の寺域(じいき)は南北約354メートル・東西約205メートルで大規模な塔跡などが見付かり、現在の田畑の中に塔跡・金堂跡が残されています。なお大官大寺は710年(和銅3年)の平城京遷都とともに移転し、大安寺(だいあんじ)になりました。ちなみに大官大寺は711年(和銅4年)に藤原京(ふじわらきょう)の大火で焼失し、その後田畑や民家になりました。
*参考・・・大官大寺跡(アクセス・見どころ・・・)

【大官大寺跡 見どころ・文化財】
大官大寺跡の見どころは塔跡・金堂跡です。塔跡・金堂跡にはかつて礎石が残されていたが、1889年(明治22年)に橿原神宮に移され、現在は土壇のみが残されています。塔は方五間(約35メートル四方)で、高さが東大寺東塔と同じ約100メートルあったとも言われています。なお大官大寺では中門・金堂・講堂が南北一直線上に建立され、金堂の南東に塔が建立されていました。

【大官大寺跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-47-2270(橿原市観光交流センター)

【大官大寺跡 おすすめ散策ルート】
大官大寺跡では少し距離があるが、北東にある藤原宮跡を散策するのがおすすめです。周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。

【大官大寺跡 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場不明。

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