牛玉札(ごおうふだ)・陀羅尼札(だらにふだ)と東大寺お水取り
牛玉札・陀羅尼札と東大寺お水取り
牛玉札・陀羅尼札は平安時代末期に11枚を刷ったのが始まりとも伝えられています。牛玉札・陀羅尼札では初めてお水取りに参籠する新入の僧侶・練行衆が牛玉札をみだりに刷らないことを誓う牛玉誓紙という巻物も残されています。牛玉誓紙は1472年(文明4年)から書き継がれています(詳細下記参照)
【東大寺お水取り2025 日程時間(要確認)】
東大寺お水取り2025は2025年(令和7年)3月1日(土曜日)~14日(金曜日)に行われます。なおお松明は19:00から行われます。ただ12日(水曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。
東大寺お水取り2025日程
【東大寺お水取り 基礎知識】
東大寺お水取り(おみずとり)・修二会(しゅにえ)・お松明(おたいまつ)は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂(国宝)の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
東大寺お水取り2025
【牛玉札(ごおうふだ)・陀羅尼札(だらにふだ)】
牛玉札・陀羅尼札は平安時代(794年~1185年)末期に11枚を刷ったのが始まりとも伝えられています。牛玉札・陀羅尼札では初めてお水取り(おみずとり・修二会(しゅにえ))に参籠する新入(しんにゅう)の僧侶・練行衆(れんぎょうしゅう)が牛玉札をみだりに刷らないことを誓う牛玉誓紙(ごおうのせいし)という巻物も残されています。牛玉誓紙は室町時代(1336年~1573年)中期の1472年(文明4年)から書き継がれ、550年以上に渡ってお水取りに参籠した僧侶の名前が書かれています。江戸時代(1603年~1868年)に大仏の再鋳造・大仏殿の再建に尽力した公慶上人(こうけいしょうにん)の名前も書かれています。
牛玉札・陀羅尼札は例年3月1日から14日間に行われるお水取りの内、下七日の3月8日・9日の2日間、午後8時40分頃から行われる初夜法要の時に練行衆が牛玉櫃を台にして木版で刷り、押捺した御札です。牛玉札の版木には「南無頂上佛面除疫病」・「南無最上佛願満足」の文字が刻まれ、朱印(十一面観音種字)が押捺されます。牛玉札・陀羅尼札の刷りは二月堂の内陣で行われ、東の局(つぼね)から僅かに拝観することができます。刷り上げられた牛玉札は牛玉箱に納められ、満行まで祈願されます。ちなみに上七日は3月1日から7日までの前半の7日、下七日は3月8日から14日までの後半の7日です。かつてのお水取りでは練行衆は現在の11人よりも多く、上七日と下七日で交代していた時代がありました。二月堂は江戸時代(1603年~1868年)前期の1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、焼け跡から板木が発見され、陀羅尼札の板木は一部焼け落ちた部分がありました。陀羅尼札は「仏頂尊勝陀羅尼経」が円形に配列されて刷られ、息災や延命のご利益があるとも言われています。
疫病除け(しっぺいよけ)の牛玉札は牛の胆石(たんせき)である漢方薬の牛黄(ごおう)を混ぜた牛玉墨と閼伽井(あかい)の御香水(ごこうずい)で刷られます。ちなみに牛玉札はちぎって薬として飲む人もいたと言われています。牛玉札は満行後に皇室に献上されたり、有縁の人々に配られたりします。満行後に参籠できなかった僧侶には8枚連続で刷られた続牛玉(つづきごおう)が配られます。牛玉札・陀羅尼札は二月堂納経所で授与される場合があります。(要確認)
牛玉札・陀羅尼がすられる和紙は兵庫県西宮市の名塩地区で漉かれた名塩紙(なじおがみ・名塩和紙(なじおわし))が使用されているそうです、名塩紙は凝灰岩(ぎょうかいがん)を砕いてつくった泥が混ぜられているそうです。
【牛玉札・陀羅尼札と東大寺お水取り 備考】
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東大寺見どころ