談山神社けまり祭2024年11月3日(日程時間・・・)

けまり祭

談山神社けまり祭

談山神社けまり祭(日程・・・)を紹介しています。けまり祭は例年11月3日に行われています。けまり祭は645年(大化元年)の大化の改新の発端になった故事に因んで行われています。けまり祭では古式ゆかしき鞠装束を身に着けた鞠人がグループになり、アリ・ヤア・オウの独特の掛け声を掛けながら鞠が地上に落ちないように足だけで蹴り続けます。(詳細下記参照)

【談山神社けまり祭2024 日程時間(要確認)】
談山神社けまり祭2024は2024年(令和6年)11月3日(日曜日)11:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・談山神社ホームページ

【談山神社けまり祭 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市多武峰319
最寄り駅・バス停・・・談山神社(徒歩約4分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井駅・近鉄桜井駅から談山神社行き
路線・時刻表・運賃チェック

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【談山神社けまり祭 歴史・簡単概要】
談山神社けまり祭(けまりまつり)は主祭神・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足)が法興寺(ほうこうじ・飛鳥寺)で行われた蹴鞠会(けまりえ)で、中大兄皇子(第40代・天武天皇)と初めてまみえて親しくなり、645年(大化元年)の大化の改新の発端になった故事に因んで行われています。ちなみに藤原鎌足と中大兄皇子は談山神社がある多武峰(とうのみね)の山中で談合を行ったことから談い山(かたらいやま)・談所ヶ森(だんじょのもり)と言われるようになり、談山神社の名称の由来にもなりました。
けまり祭では古式ゆかしき鞠装束(鳥棺子(えぼし)・鞠水干(まりすいかん)・鞠袴(まりぱかま)・沓(クツ))を身に着けた鞠人8名(6名)がグループ(―座)になり、アリ(夏安林)・ヤア(春陽花)・オウ(秋園)の独特の掛け声を掛けながら鞠が地上に落ちないように足だけで蹴り続けます。蹴鞠には勝ち負けはなく、厳格な時間制限もないそうです。ちなみに鞠は2枚の鹿の皮が縫い合わされ、大きさ・重さ・形にはばらつきがあるそうです。
蹴鞠は紀元前300年頃の中国・戦国時代の蹴鞠(しゅうきく)が起源とも言われています。日本には飛鳥時代(538年頃)に仏教とともに中国から伝わったと言われ、日本最古の歴史書・日本書紀にも記されています。なお藤原鎌足と中大兄皇子が法興寺で蹴ったのが最初とも言われているそうです。
「アリ」・「ヤア」・「オウ」の掛け声は平安時代に蹴鞠の名人とも言われた藤原成通が千日に及ぶ蹴鞠の練習を成就させた夜、鞠の精霊が3匹の猿の姿で夢の中に現れ、その3匹の猿の名前に由来しています。ちなみに3匹の猿は蹴鞠の守護神とされています。

【談山神社 歴史・簡単概要】
談山神社(たんざんじんじゃ)は寺伝によると678年(天武天皇7年)に藤原氏の祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足)の長男で、僧・定恵(じょうえ)が父・鎌足の墓を摂津安威(阿武山古墳・あぶやまこふん)から奈良大和に移し、十三重塔を建立したのが起源と言われています。その後680年(天武天皇9年)に講堂(現拝殿)が建立され、妙楽寺(みょうらくじ)と号し、701年(大宝元年)には十三重塔の東に鎌足像を安置する祠堂(現本殿)が建立され、聖霊院と号した言われています。平安時代に藤原氏の繁栄とともに発展しました。その後興福寺(こうふくじ)と度々抗争を繰り返したり、多武峰合戦の兵火が起こったりし、1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉によって郡山城下に移されました。1590年(天正18年)に帰山を許され、江戸幕府初代将軍・徳川家康によって復興されました。なお明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)により、僧侶は還俗し、妙楽寺から談山神社に改められました。なお談山神社は藤原鎌足を主祭神に祀っています。
*参考・・・談山神社(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【談山神社けまり祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
談山神社(アクセス・見どころ・・・)情報

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