大安寺開山忌2024年11月2日(日程時間・・・)

大安寺開山忌

大安寺開山忌

大安寺開山忌(日程・・・)を紹介しています。開山忌は例年11月2日に行われています。開山忌・道慈律師忌では道慈律師(どうじりっし)の命日にその遺徳を偲びます。また開山忌では参拝者の平安と家内安全なども祈願します。なお開山忌では大般若経(だいはんにゃきょう)600巻を転読し、除災招福(じょさいしょうふく)などを祈願します。(詳細下記参照)

【大安寺開山忌2024 日程時間(要確認)】
大安寺開山忌2024は2024年(令和6年)11月2日(土曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・大安寺ホームページ

【大安寺開山忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市大安寺2-18-1
最寄り駅・バス停・・・大安寺(徒歩約10分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から大安寺行き・シャープ前行き・白土町行き
路線・時刻表・運賃チェック

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【大安寺開山忌 歴史・簡単概要】
大安寺開山忌(かいざんき)・道慈律師忌では道慈律師(どうじりっし)の命日にその遺徳を偲びます。また開山忌では参拝者の平安と家内安全なども祈願します。なお開山忌では大般若経(だいはんにゃきょう)600巻を転読し、除災招福(じょさいしょうふく)などを祈願します。
道慈律師は法隆寺の智蔵(ちぞう)に三論宗、竜門寺の義淵(ぎえん)に法相宗を学び、702年(大宝2年)には遣唐使・粟田真人(あわたのまひと)に従って唐に渡って、長安の西明寺に住し、唐の宮中で仁王般若経(にんのうはんにやきよう)を講ずる高僧100人の一人に選ばれました。その後718年(養老2年)に日本に帰国し、三論宗を広めたことから三論宗の第三伝(三論の祖師)と称されました。また大安寺の平城京移転に尽力したり、736年(天平9年)に大般若経転読会を始めたりし、744年(天平16年)10月2日に亡くなりました。
大般若経の転読は古くから行われ、第42代・文武天皇の時代である703年(大宝3年)に行われたことが続日本紀(しょくにほんぎ)に記されているそうです。なお大般若の転読では大般若経600巻を僧侶が転読という速読法を使い、短時間に読み上げます。転読では経巻を傾けながらぱらぱらと落とし、経題など大声で読み上げます。ちなみに転読によって起こる梵風(ぼんぷう)は一切の災いを除くとも言われています。
大般若経(大般若波羅蜜多経・だいはんにゃはらみったきょう)は630年頃に三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)がインドから中国に持ち帰り、663年に漢訳して作り上げた経典です。ただ大般若経のサンスクリット本は発見されていないそうです。大般若経は全16部(会)・600巻・字数500万字にも及びます。なお大般若経には魔をも折伏させる功力があるとも言われています。

【大安寺 歴史・簡単概要】
大安寺(だいあんじ)は第31代・用明天皇の皇子・聖徳太子(厩戸皇子)がお釈迦様の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に倣って、平群郡額田部(へぐりぐんぬかたべ)に熊凝道場(くまごりしょうじゃ)を創建したのが起源と言われています。熊凝道場跡には現在額安寺(かくあんじ)が創建されています。その後官寺になったが、百済大寺(くだらおおでら)・高市大寺(たけちだいじ)・大官大寺(だいかんだいじ)と名称や場所を変え、平城京に移って大安寺になりました。大安寺には東西に2基の七重塔が建立され、東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)・法隆寺(ほうりゅうじ)・元興寺(がんごうじ)・薬師寺(やくしじ)・西大寺(さいだいじ)とともに南都七大寺に数えられ、南大寺とも言われましたそうです。その後829年(天長6年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が別当に就いたり、859年(貞観元年)に八幡神を勧請したりしたが、その後徐々に衰退し、1017年(寛仁元年)の火災によって伽藍の多くが焼失しました。なお近世には小堂ひとつだったと言われているが、近世以降に現在の本堂などが再建されました。
大安寺は高野山真言宗の寺院です。
*参考・・・大安寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【大安寺開山忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大安寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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