金峯山寺の見どころ-修学旅行・観光の簡単解説
金峯山寺の見どころは蔵王堂・仁王門・銅鳥居・愛染堂・威徳天満宮などです。
金峯山寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには本尊を安置し、本堂である蔵王堂(国宝)、金剛力士像を安置している仁王門(国宝)、発心門と言われる銅鳥居(重要文化財)などがあります。また愛染堂・威徳天満宮等も見逃せません。
- 本尊・蔵王権現を祀り、本堂にあたる蔵王堂(国宝)
- 正門で、金剛力士(仁王)を祀る仁王門(国宝)
- 大峯山に詣でる最初の門である銅鳥居(重要文化財)
- 安禅寺から移された愛染明王を祀る愛染堂
- 豊臣秀頼が再建し、菅原道真を祀る威徳天満宮
【本尊・蔵王権現を祀り、本堂にあたる蔵王堂(国宝)-見どころ】
蔵王堂は絶対に見る価値がある文化財です。蔵王堂は高さも、四方も30メートル以上あります。蔵王堂は金峯山寺の本堂で、厨子(ずし)に秘仏である3体の蔵王権現(ざおうごんげん)立像(重要文化財)を本尊として安置しています。
- 歴史:蔵王堂は1592年(天正20年)頃に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の寄進によって再建されたと言われています。扉金具には「天正19年(1592年)」の銘が残されています。蔵王堂は歴史的価値があります。1916年(大正5年)から1924年(大正13年)に解体修理が行なわれ、1980年(昭和55年)から1984年(昭和59年)に屋根の葺き替えなどが行われました。ちなみに蔵王堂は白鳳年間(7世紀後半)に修験道の祖である役行者・役小角が建立し、その後奈良時代(710年~794年)に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が改修したとも言われています。
- 様式:蔵王堂は一見二階建てに見える裳階(もこし)付きで、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。蔵王堂は正面・奥行が桁行五間・梁間六間です。高さ約34メートル・四方約36メートルです。
- 仏像:3体の蔵王権現立像は中尊が像高約728センチ、向かって右側が像高約615センチ、左側が像高約592センチです。寺伝によると中尊が釈迦如来(しゃかにょらい)、右側が千手観音(せんじゅかんのん)、左側が弥勒菩薩(みろくぼさつ)を本地とし、それぞれ過去・現世・来世を象徴しています。なお中尊は像内に「天正18年(1591年)南都大仏師宗貞、宗印」等の銘があります。
【正門で、金剛力士(仁王)を祀る仁王門(国宝)-見どころ】
仁王門は蔵王堂に次ぎ、見る価値がある文化財です。仁王門は蔵王堂の北側に位置する金峯山寺の正門です。仁王門は高さ約20.3メートルで、日本屈指の山門とも言われています。仁王門は東大寺(とうだいじ)に次ぎ、国内で2番目に大きい像高約5.1メートルの金剛力士(こんごうりきし・仁王(におう))像を安置しています。
- 歴史:仁王門は軒先に吊るされていた風鐸(ふうたく)の銘から1456年(康正2年)に再建されたと言われています。また仁王門は寺伝によると1339年(延元4年・暦応2年)に南都大仏師・康成(こうじょう)が造仏した金剛力士像(重要文化財)を安置しする為、1339年(延元4年・暦応2年)頃に再建されたとも言われています。
- 様式:仁王門は三間一戸(さんげんいっこ)二重門(にじゅうもん)です。仁王門は入母屋造の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
【大峯山に詣でる最初の門である銅鳥居(重要文化財)-見どころ】
銅鳥居は見逃せません。銅鳥居は吉野から大峯山(おおみねさん)に詣でる修行道に建立された最初の門で、発心門(ほっしんもん)とも言われています。発心門は修行門(しゅぎょうもん)・等覚門(とうかくもん)・妙覚門(みょうかくもん))とともに四門に数えられています。銅鳥居は大峯山に詣でる「吉野なる 銅(かね)の鳥居に 手をかけて 弥陀(みだ)の浄土に 入るぞうれしき」という秘歌が伝えられています。
- 歴史:銅鳥居は1348年(正平3年・貞和4年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の側近・高師直(こうのもろなお)の兵火で焼失し、室町時代中期(1393年~1466年)に再建されました。
- 様式:銅鳥居は銅製の明神鳥居(しんめいとりい)です。銅鳥居は高さ約7.5メートル・柱周り約3.3メートルです。
- 伝説:銅鳥居には奈良時代(710年~794年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が東大寺(とうだいじ)に大仏を造立した際、その余銅で建立されたという伝説が残されています。
【本尊・十一面観音を祀る観音堂-見どころ】
観音堂は十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像を本尊、阿難尊者(あなんそんじゃ)立像・迦葉尊者(かしょうそんじゃ)立像を脇侍(きょうじ)として安置しています。阿難尊者立像・迦葉尊者立像は明治維新後に廃寺になった世尊寺(せそんじ)に安置されていたと言われています。
- 歴史:観音堂は室町時代(1336年~1573年)に蔵王堂前に建立されました。
- 様式:観音堂は入母屋造の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。
【安禅寺から移された愛染明王を祀る愛染堂-見どころ】
愛染堂は愛染明王(あいぞめみょうおう)像を安置しています。愛染明王は明治維新後に廃寺になった安禅寺(あんぜんじ)に安置されていたと言われています。
- 歴史:愛染堂は1770年(明和7年)に経蔵として建立されました。その後護摩堂に改められ、1983年(昭和58年)に蔵王堂に安置されていた愛染明王が移されて愛染堂に改められました。
【豊臣秀頼が再建し、菅原道真を祀る威徳天満宮-見どころ】
威徳天満宮(いとくてんまんぐう)は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)を祀っています。威徳天満宮は社伝によると959年(天徳3年)9月5日に日蔵上人(にちぞうしょうにん)が祀り、日本最古の天満宮とも言われています。
- 歴史:威徳天満宮は慶長年間(1596年~1615年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が再建したと言われています。1998年(平成10年)に台風7号で被害を受けたが、2001年(平成13年)に社殿が修復されました。
- 伝承:日蔵上人が大峯山中の笙の窟(しょうのいわや)で修行していると急に仮死状態になって間魔宮へ行き、第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)に出会いました。醍醐天皇は菅原道真を左遷し、その罪に苦しみ、日蔵上人に生き返って菅原道真の霊を祀ってほしい、そうすると苦しみから救われると告げました。日蔵上人はこの世に黄泉がえり、修行を終えると吉野山に戻り、菅原道真を祀ったと言われています。
【金峯山寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・金峯山寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ