興福寺仏生会2025/4/8(日程時間・・・)

興福寺仏生会

興福寺仏生会

興福寺仏生会(日程・・・)を紹介しています。仏生会は例年4月8日に行われています。仏生会はお釈迦様の誕生日を祝う法要です。仏生会では菊・椿などの種々の花で美しく飾った花御堂(はなみどう)を作り、釈迦誕生仏(誕生仏)を安置し、甘茶を注ぐことができます。なお仏生会では甘茶の接待も行われます。(要確認)(詳細下記参照)

【興福寺仏生会2025 日程時間(要確認)】
興福寺仏生会2025は2025年(令和7年)4月8日(火曜日)10:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・興福寺ホームページ

【興福寺仏生会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック

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【興福寺仏生会 歴史・簡単概要】
興福寺仏生会(ぶっしょうえ)はお釈迦様の誕生日を祝う法要です。
仏生会では先ず南円堂前で読経などの法要が行われます。仏生会では菊・椿などの種々の花で美しく飾った花御堂(はなみどう)を作り、釈迦誕生仏(誕生仏)を安置し、甘茶を注ぐことができます。なお仏生会では甘茶の接待も行われます。(要確認)
誕生釈迦仏はお釈迦様が右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(それぞれの存在が尊い)」と唱えた姿を象った像です。誕生釈迦仏は上半身を裸で、下半身に裙(くん)をまとった金銅製のものが多いそうです。
甘茶はお釈迦様が誕生した際、八大竜王が祝って産湯に甘露を注いだことに由来しています。ちなみに甘茶には虫除けの効能もあるとも言われているそうです。
お釈迦様(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦様は約2500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦様の遺骸は火葬され、遺骨は各地の舎利塔(仏塔)に分けて祀られたそうです。なおお釈迦様の誕生日はインド系太陽太陰暦の第2月15日とされ、中国では中国暦の4月にされた言われています。
仏生会はお釈迦様の誕生を祝う仏教行事です。仏生会ではルンビニーの花園(インド国境に近いネパール)で誕生した様子を表す花御堂を飾り、甘茶を満たした灌仏桶の中央に天地を指差すお釈迦様の誕生仏を安置し、甘露の雨に準えた甘茶を柄杓で掛けて祝います。ちなみに仏生会は花まつり・花祭(はなまつり)・花会式(はなえしき)・灌仏会(かんぶつえ)・降誕会(ごうたんえ)・浴仏会(よくぶつえ)・龍華会(りゅうげえ)などとも言われています。
●興福寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
興福寺歴史
●興福寺の見どころ(東金堂・五重塔など)を紹介しています。
興福寺見どころ

【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【興福寺仏生会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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