興福寺放生会2025/4/17(日程時間・・・)

興福寺放生会

興福寺放生会

興福寺放生会(日程・・・)を紹介しています。放生会は例年4月17日に行われています。放生会では仏教の教えのひとつ不殺生戒(ふせっしょうかい)に基づき、捕まえた生き物を殺さずに放流します。放生会では在来種などの川魚を猿沢池(さるさわいけ)に放流します。なお猿沢池は749年(天平21年)に造られた周囲約360メートルの人工池です。(詳細下記参照)

【興福寺放生会2025 日程時間(要確認)】
興福寺放生会2025は2025年(令和7年)4月17日(木曜日)13:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・興福寺ホームページ

【興福寺放生会 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)

アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線

*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック

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【興福寺放生会 歴史・簡単概要】
興福寺放生会(ほうじょうえ)では仏教の教えのひとつ不殺生戒(ふせっしょうかい)に基づき、捕まえた生き物を殺さずに放流します。仏教では全ての命は平等という思想が基本となっているそうです。
放生会では先ず南円堂横にある一言観音堂(ひとことかんのんどう)で法要が行われます。その後猿沢池(さるさわいけ)に移動して般若心経を読経し、その後在来種(モツゴ・シマヒレヨシノボリなど)などの川魚を猿沢池に放流します。ちなみに猿沢池は749年(天平21年)に造られた周囲約360メートルの人工池です。
放生会はお釈迦様の前世である流水長者(るすいちょうじゃ)が池の水の涸渇により、死に掛けた魚を助け、説法して放生したところ魚は三十三天(とう利天)に転生し、感謝・報恩したということが起源とも言われています。また放生会は仏教の教えである五戒(ごかい)のひとつで、生き物を殺してはならないという不殺生戒(ふせっしょうかい)に由来しているとも言われています。ちなみに五戒には不殺生戒(ふせっしょうかい)・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・不邪淫戒(ふじゃいんかい)・不妄語戒(ふもうごかい)・不飲酒戒(ふおんじゅかい)があります。なお日本最初の放生会は677年(天武天皇6年)に行われたとも言われています。
一言観音は一言(一つの祈願)を願えば、叶えるとも言われています。
●興福寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
興福寺歴史
●興福寺の見どころ(東金堂・五重塔など)を紹介しています。
興福寺見どころ

【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺(こうふくじ)は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足(ふじわらのかまたり・中臣鎌足(なかとみのかまたり))の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院(いちじょういん)・大乗院(だいじょういん)など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社(かすがたいしゃ)の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。なお興福寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
興福寺は法相宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【興福寺放生会 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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