帯解寺小野小町忌2025/4/(日程時間・・・)
帯解寺小野小町忌
帯解寺小野小町忌(日程・・・)を紹介しています。小野小町忌は例年4月24日に行われています。小野小町忌では絶世の美女で、六歌仙・三十六歌仙に数えられた小野小町を偲び、参拝者が心の美人になって幸せに生きられるように祈願します。小野小町忌では坂本流による小町の舞が奉納されます。一刀彫りの小町像も公開されるそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【帯解寺小野小町忌2024 日程時間(要確認)】
帯解寺小野小町忌2024は2024年(令和6年)4月24日(水曜日)14:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・帯解寺ホームページ
【帯解寺小野小町忌 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市今市町734
最寄り駅・バス停・・・帯解駅(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR桜井線
路線・時刻表・運賃チェック
【帯解寺小野小町忌 歴史・簡単概要】
帯解寺小野小町忌(おののこまちき)では絶世の美女で、六歌仙・三十六歌仙に数えられた小野小町を偲び、参拝者が心の美人になって幸せに生きられるように祈願します。なお帯解寺は江戸時代初期に記された「南都名所集」によると境内に小町の宮(小町之宮)があったと言われています。そこで2006年(平成18年)に小町の宮の祠の新築・小町像の新造を行い、翌2007年(平成19年)に開眼記念法要を行ってからは毎年法要を行って、小町の舞を奉納しているそうです。ちなみに2002年(平成14年)には石碑が建立されたそうです。
小野小町忌では先ず小町の宮の祠前で法要を行います。その後坂本流による小町の舞が奉納されます。なお小野小町忌では一刀彫りの小町像も公開されるそうです。(要確認)
小野小町は平安時代前期の女流歌人で、第54代・仁明天皇と第55代・文徳天皇の後宮に仕えたと言われています。ただ小野小町は生没年など詳細は明確ではありません。小野小町は小野一族で、出羽郡司・小野良真(おののよしざね)の娘とも、公卿・小野篁 (おののたかむら)の孫とも言われています。なお小野小町は謡曲・御伽草子・浄瑠璃など多くの題材になっています。特に猿楽師・世阿弥(ぜあみ)などが創作し、小野小町と深草少将(ふかくさのしょうしょう)が登場する能・百夜通い(ももよがよい)は広く知られています。
【帯解寺 歴史・簡単概要】
帯解寺(おびとけでら)は寺伝によると真言宗の宗祖である弘法大師・空海の師とも言われている勤操大徳が開いた巌渕千坊のひとつが起源とも言われています。帯解寺はかつて霊松庵とも言われたそうです。その後858年(天安2年)第55代・文徳天皇の勅願によって伽藍が建立され、勅命によって帯解寺と称するようになりました。文徳天皇と后・染殿皇后(藤原明子)は長く世継ぎに恵まれなかったが、祖神・春日明神のお告げにより、帯解寺で祈願したところ第56代・清和天皇(惟仁親王)を授かりました。以来帯解寺は子授け・安産祈願の寺として信仰されるようになったそうです。その後江戸時代に世継ぎがなかった江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の正室・お江の方が祈願すると第3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)を授かり、家光の側室・御楽の方が祈願すると第4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)を授かったと言われています。家光は瑞祥記を下賜したり、仏像・仏具などを寄進したりし、1663年(寛文3年)には家綱が手水鉢(ちょうずばち)を寄進したとも言われています。
帯解寺は華厳宗の寺院です。
*参考・・・帯解寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【帯解寺小野小町忌 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
帯解寺(アクセス・見どころ・・・)情報