東大寺二月堂功徳日2025年8月9日(日程時間・・・)
東大寺二月堂功徳日
東大寺二月堂功徳日(日程・・・)を紹介しています。二月堂功徳日は例年8月9日に行われています。二月堂功徳日は観音菩薩の功徳日である8月9日に参詣すると四萬六阡日(しまんろくせんにち)参詣したのと同じ功徳が得られるとも言われています。8月9日に一日参詣するだけで一生分をはるかに超えるご利益があるとされています。(詳細下記参照)
【東大寺二月堂功徳日2025 日程時間(要確認)】
東大寺二月堂功徳日2025は2025年(令和7年)8月9日(土曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・東大寺ホームページ
【東大寺二月堂功徳日 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市雑司町406-1
最寄り駅・バス停・・・東大寺大仏殿・春日大社前(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス
*近鉄奈良駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック
【東大寺二月堂功徳日 歴史・簡単概要】
東大寺二月堂功徳日(およく)は観音菩薩(かんのんぼさつ)の功徳日である8月9日に参詣すると四萬六阡日(しまんろくせんにち)参詣したのと同じ功徳が得られるとも言われています。8月9日に一日参詣するだけで一生分をはるかに超えるご利益があるとされています。ちなみに「およく」は功徳に浴するという「浴」に由来しているそうです。なお二月堂功徳日では万灯明料を納めると福引に参加できるそうです。二月堂近くの北の茶屋ではおよく餅・功徳水ようかんが販売されています。
観音菩薩(観世音菩薩・かんぜおんぼさつ)は菩薩の一尊です。観音菩薩は世間の人々の声を聞き、人々の求めに応じて救いの手を差し伸べる慈悲深い菩薩とされ、救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)とも言われています。なお観音さまは勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍とされています。
二月堂(国宝)は1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。ちなみにお水取りは752年(天平勝宝4年)に実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。二月堂の名称はお水取りとも言われる修二会(しゅにえ)に由来しています。なお二月堂は本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)と言われる十一面観音像2体(国宝)を安置しています。
●東大寺の歴史(創建から現在)を紹介しています。
東大寺歴史
●東大寺の見どころ(大仏・大仏殿など)を紹介しています。
東大寺見どころ
【東大寺 歴史・簡単概要】
東大寺(とうだいじ)・金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子(もといのみこ)の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(きんしょうせんじ・金鍾寺(きんしょうじ)が起源と言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生したが、728年(神亀5年)9月13日に亡くなり、同年11月に金鍾山寺が建立されました。その後741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺(きんこうみょうじ)に改められました。その後743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発し、当初滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮(しがらきのみや)で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に都が平城京に戻ると東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)を導師として、大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。752年(天平勝宝4年)からお水取り(修二会・お松明)も始まりました。789年(延暦8年)の造東大寺司の廃止までに講堂・東西両塔・三面僧房などの諸堂が建立されました。なお東大寺は1998年(平成10年)世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(古都奈良の文化財)のひとつに登録されました。
東大寺は華厳宗の大本山です。
*参考・・・奈良世界遺産・東大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【東大寺二月堂功徳日 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺(アクセス・見どころ・・・)情報
東大寺お水取り2025