玉津島明神(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
玉津島明神
玉津島明神(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。玉津島明神ゆかりの衣通姫は第19代・允恭天皇の皇女で、同母兄・木梨軽皇子と情を通じ、木梨軽皇子は伊予に流され、その際に「君が行き 日長くなりぬ やまたづの 迎へに行かむ 待つには待たじ(万葉集)」と詠みました。
【玉津島明神 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県桜井市大字忍阪字生谷
最寄り駅・バス停・・・大和朝倉駅(徒歩約15分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄大阪線
路線・時刻表・運賃チェック
【玉津島明神 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【玉津島明神 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【玉津島明神 歴史・簡単概要】
玉津島明神(たまつしまみょうじん)は奈良県桜井市大字忍阪字生谷にあります。忍坂坐生根神社から街道筋を南に進んだ場所に祀られています。この地は忍阪字生谷(いくだに)と言われ、その地名の通りに祭神・衣通姫(そとおりひめ・そとほりひめ・そとおしひめ)の誕生地という伝承が残され、祠の横に衣通姫の産湯(うぶゆ)に使われたという産湯の井戸の石枠組が残されています。ちなみに衣通姫の生母・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)はこの地ゆかりと言われています。衣通姫は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」によると第19代・允恭天皇(いんぎょうてんのう)と皇后・忍坂大中姫の第5皇女で、同母兄・木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と情を通じ、木梨軽皇子は失脚して伊予(いよ・愛媛)に流され、衣通姫も兄の後を追ってともに命を絶ったと言われています。日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)・奈良時代末期成立」にその際の和歌が残されています。衣通姫は光明皇后(こうみょうこうごう)・藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)とともに本朝三美人(ほんちょうさんびじん)に数えられ、その名前は美しさが衣を通して輝くことに由来しています。その後江戸時代(1603年~1868年)後期に1854年(嘉永7年)に石燈籠が建立されたとも言われています。なお玉津島明神は衣通姫と天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹神・稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀っています。
*参考・・・玉津島明神(アクセス・見どころ・・・)
【玉津島明神 見どころ・文化財】
玉津島明神の見どころは産湯の井戸です。産湯の井戸は元々、生谷川沿いにあったという伝承が残されており、2011年(平成23年)9月に周辺を試掘すると地下約2メートルから井戸の石組みと思われる石材が見つかりました。ただ部分的な試掘で、時代を証明できるような遺物が発見されず、年代を断定できなかったそうです。なお春日造(かすがづくり)の小祠も見どころです。
【玉津島明神 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0744-42-7530(桜井市観光協会)
【玉津島明神 おすすめ散策ルート】
玉津島明神では北側に位置する忍坂坐生根神社を散策するのがおすすめです。なお周辺にはあまり観光スポットがないことから次の観光スポットに向かい、その周辺を散策するのもいいかもしれません。
【玉津島明神 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
駐車場なし。












