興福寺修正堂参・例年1月1日「般若心経」・「唯識三十頌」
興福寺修正堂参(日程・アクセス・概要)
興福寺修正堂参(日程時間など)を紹介しています。修正堂参は例年1月1日に行われます。修正堂参では一山の僧侶が揃って、境内に建立されている全ての堂塔に参拝し、堂塔に安置されている諸仏に仏典「般若心経」・「唯識三十頌」などの法楽を捧げ、新年が佳き年であるようにと祈願します。(詳細下記参照)
【興福寺修正堂参 日程時間(要確認)】
興福寺修正堂参は例年1月1日に行われます。
*参考・・・興福寺ホームページ
【興福寺修正堂参 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市登大路町48
最寄り駅・バス停・・・近鉄奈良駅(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。
*近鉄奈良線
*JR奈良駅から市内循環バスの場合、県庁前(徒歩すぐ)
路線・時刻表・運賃チェック
【興福寺修正堂参 歴史・簡単概要】
興福寺修正堂参(しゅしょうどうさん)は例年1月1日の元日早朝(元旦)に行われています。
修正堂参では一山の僧侶が揃って、境内に建立されている中金堂・五重塔など全ての堂塔に参拝し、堂塔に安置されている諸仏に仏典「般若心経(はんにゃしんぎょう)」・「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」などの法楽を捧げ、新年が佳き年であるようにと祈願します。
●興福寺には五重塔(国宝)・東金堂(国宝)・北円堂(国宝)・南円堂(重要文化財)・中金堂・三重塔(国宝)などの堂塔が建立されています。
五重塔は1426年(応永33年)頃に再建されました。五重塔は初層に薬師三尊像・釈迦三尊・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像を安置しています。
東金堂は1415年(応永22年)に再建されました。東金堂は本尊・薬師三尊像などを安置しています。
北円堂は1210年(承元4年)頃に再建されました。北円堂は本尊・弥勒如来像などを安置しています。
南円堂は1789年(寛政元年)に再建されました。南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩などを安置しています。
中金堂は2018年(平成30年)に再建されました。中金堂は本尊・釈迦如来像などを安置しています。
三重塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に再建されたと言われています。三重塔は弁才天坐像などを安置しています。
●「般若心経」は「大般若経(大般若波羅蜜多経)」の心髄を簡単にまとめた262文字の経典です。「大般若経」は最高の真理である般若から見ると全てのものは実体がない空だと説き、「般若心経」では「色即是空、空即是色」と表されています。「色即是空、空即是色」は現世に存在する事物・現象は実体ではなく、空無であるという意味だそうです。なお「色即是空、空即是色」は三蔵法師と言われる唐(中国)の玄奘が漢訳したもので、日本では玄奘訳の「般若心経」が読誦用として流布しています。
●「唯識三十頌」はインドの仏教学者・世親が唯識説の大綱を三十の頌にまとめたもので、六百言で訳出されています。世親の著書を護法が注釈し、それを玄奘が漢訳して「成唯識論」を記し、これが法相宗(唯識宗)の重要な論典になっています。
興福寺見どころ
【興福寺 歴史・簡単概要】
興福寺は669年(天智天皇8年)に藤原氏の始祖・藤原鎌足の妻・鏡大王が夫の病気平癒の祈願の為に藤原鎌足発願の釈迦三尊像や四天王などを安置する山階寺を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに山階寺も移され、地名から厩坂寺と言われました。その後710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。720年(養老4年)に藤原不比等が亡くなると造興福寺仏殿司が設けられ、国家事業として伽藍が整備され、奈良時代に四大寺、平安時代に七大寺に数えられ、延暦寺とともに南都北嶺と称されました。最盛期には一乗院・大乗院など塔頭や付属寺院が百か院以上を数えたそうです。また平安時代に春日大社の実権も手に入れ、大和国を領するほどになり、鎌倉時代・室町時代に鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たり、江戸時代には興福寺・春日大社の知行地が2万1千余石と定められました。
*参考・・・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【興福寺修正堂参 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
興福寺(アクセス・見どころ・・・)情報













