賀名生梅林梅見ごろ2025(時期:2月下旬~3月下旬頃)
賀名生梅林梅見ごろ(見頃)
賀名生梅林梅見ごろ(時期・イベント等)を紹介しています。梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。賀名生梅林には北曽木の丘陵の麓から中腹に白加賀・林州・鶯宿など約2万本の梅の木が植えられ、梅と丘陵の光景が美しいと言われています。一周約5.5キロのコースがあり、散策しながら梅を楽しむことができます。なお賀名生の里は奈良県景観資産に選ばれています。(詳細下記参照)
【賀名生梅林梅見ごろ(例年時期)】
賀名生梅林の梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。なお梅の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。
奈良梅名所・梅見ごろ
【賀名生梅林梅 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県五條市西吉野町北曽木
最寄り駅・バス停・・・賀名生和田北口(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。
*JR和歌山線・五条駅から奈良交通バス・十津川方面行き
路線・時刻表・運賃チェック
【賀名生梅林梅見ごろ(例年時期)・見どころ 概要】
賀名生梅林は奈良を代表する梅の名所です。賀名生梅林の梅見ごろは例年2月下旬頃から3月下旬頃です。
賀名生梅林には丹生川(にゅうがわ)下流沿いで、北曽木の丘陵の麓から中腹(面積約60 万平方メートル)に白加賀(しろかが)・林州(りんしゅう)・鶯宿梅(おうしゅくばい)など約2万本の梅の木が植えられ、梅と丘陵(斜面)の光景が美しいと言われています。賀名生梅林には一周約5.5キロのコースがあり、散策しながら梅を楽しむことができます。賀名生梅林は時期により、梅の花がさながら雲海のようにほころび、甘い香りに包まれます。ちなみに賀名生梅林には吉野山の桜になぞらえ、一目万本・口の千本・見返り千本・振返り千本・東雲千本・西の千本・奥の千本などがあります。なお梅林が眺望できる賀名生の里は奈良県景観資産に選ばれています。
賀名生はかつて「穴生(あなふ)」と言われていたが、南北朝時代に南朝第2代で、第97代・後村上天皇は南朝が正統でありたいということから「叶名生(かなふ)」と名付けました。1351年(正平6年)10月に足利氏が南朝に帰順し、公卿(くぎょう)などが賀名生に参向して北朝が否定されると翌1352年(正平7年)正月に後村上天皇は願いが叶って目出度いということから「賀名生」に改める勅書を下したれたと言われています。明治時代初期に「かなふ」から「あのう」に呼び方が統一されました。
丹生川は和歌山県伊都郡高野町富貴を源とし、九度山町で紀の川(きのかわ)に合流する紀の川水系の一級河川です。
花見と言うと現在は桜を連想するが、奈良時代には中国から伝わった梅だったそうです。しかし平安時代になると梅から桜に変わり、奈良時代末期頃成立の「万葉集」では梅を読んが和歌が桜よりも多かったが、平安時代前期成立の「古今和歌集」では桜を詠んだ和歌の方が梅よりも多くなります。なお梅は中国原産のバラ科サクラ属の落葉高木で、野梅系(やばいけい)・紅梅系(緋梅系)・豊後系(ぶんごけい)に大きく分類されるそうです。
【賀名生梅林 歴史・簡単概要】
賀名生梅林(あのうばいりん)は南北朝時代(1336年(延元元年・建武3年)~1392年(元中9年・明徳3年))に京都を追われた南朝方の公家が賀名生の梅を和歌に詠んでいることから南北朝時代には既に梅の名所だったとも言われています。その後1877年(明治10年)頃から果実の収穫を目的として栽培が始まり、1923年(大正12年)には東宮殿下(第124代・昭和天皇)の成婚を記念して5,000本の苗が植えられ、その後更に植えられたと言われています。なお賀名生梅林は北曽木の丘陵の麓から中腹に白加賀・林州・鶯宿など約2万本の梅の木が植えられています。ちなみに賀名生梅林は一目万本・口の千本・見返り千本・振返り千本・東雲千本・西の千本・奥の千本に分かれています。
*参考・・・賀名生梅林(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)
【賀名生梅林梅 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
賀名生梅林・梅名所