春日若宮おん祭稚児流鏑馬2025年12月17日(揚児・射手児)
春日若宮おん祭稚児流鏑馬
春日若宮おん祭稚児流鏑馬(日程・・・)を紹介しています。稚児流鏑馬は例年12月17日に行われています。稚児流鏑馬では赤い水干に笠を被って箙を背負い、重藤の弓を手に持った揚児(あげのちご)一騎・射手児(いてのちご)二騎の合計三騎が馬場本で祝投扇の所作を行い、その後一の的・二の的・三の的を順次射ながら参道を進んでいきます。(詳細下記参照)
●春日若宮おん祭2025最新情報
【春日若宮おん祭稚児流鏑馬2025 日程時間(要確認)】
春日若宮おん祭稚児流鏑馬2025は2025年(令和7年)12月17日(水曜日)14:30頃から行われます。(現在確認中・要注意)
春日若宮おん祭2025日程
【春日若宮おん祭稚児流鏑馬・若宮神社お旅所 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県奈良市春日野町50
最寄り駅・バス停・・・春日大社表参道(徒歩約3分)
アクセス路線は次の通りです。
*奈良交通バス・市内循環外回り
*JR奈良駅・近鉄奈良駅からは奈良交通バス・春日大社本殿行きの場合、春日大社本殿(徒歩約8分)
路線・時刻表・運賃チェック
【春日若宮おん祭稚児流鏑馬 歴史・簡単概要】
春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)・稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)は一之鳥居から馬出(まだし)の橋までの参道で行われます。稚児流鏑馬では赤い水干に笠(つづらがさ)を被って箙(えびら)を背負い、重藤(しげとう)の弓を手に持った揚児(あげのちご)一騎・射手児(いてのちご)二騎の合計三騎が馬場本で祝投扇(いわいのなげおうぎ)の所作を行い、その後一の的・二の的・三の的を順次射ながら参道を進んでいきます。揚児は旧儀通りに先頭を行くそうです。ちなみに稚児流鏑馬は稚児は的前で止まった馬上から的を射ます。なお春日若宮おん祭ではかつて大和士(やまとざむらい)が神前で流鏑馬を披露していたそうです。
流鏑馬は矢継ぎ早に鏑矢(かぶらや)で射ることから流鏑馬と言われるそうです。また流鏑馬は矢馳馬(やはせむま)が転訛したものとも言われているそうです。なお流鏑馬は「日本書紀」に682年(天武天皇9年)の馬的射(むまゆみいさせ)が記され、平安時代には宮廷行事として行われていました。ちなみに武士の時代、流鏑馬は犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)とともに騎射三物(きしやみつもの)と言われていました。
*参考・・・春日若宮おん祭・春日大社ホームページ
【春日若宮おん祭 歴史・簡単概要】
春日若宮おん祭は1135年(保延元年)に若宮神社が造営され、翌1136年(保延2年)9月17日に行われた例祭が起源です。若宮神社が造営され、その霊験により、大雨・洪水は収まって晴天が続いたことから五穀豊穣・万民安楽を祈願する例祭が行われるようになりました。ちなみに春日若宮おん祭は一度も途切れることなく行われているそうです。なおおん祭で奉納される猿楽・雅楽・舞楽などの奉納芸能は1979年(昭和54年)に春日若宮おん祭の神事芸能として、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
【若宮神社お旅所 歴史・簡単概要】
若宮神社お旅所は春日大社の一之鳥居から二之鳥居を経て、本殿に伸びる参道の北側にあります。お旅所では「芝居」の語源になったと言われる芝舞台が仮御殿(御仮屋)・行宮の南側に作られます。お旅所では例年10月1日に縄棟祭が行われ、若宮神社の祭神・天押雲根命が遷る仮御殿の建立が始まります。縄棟祭では春日縄棟座として、代々奉仕する大柳生・片岡家が雌松と縄を使って屋形を組み上げます。仮御殿の組み立て・解体は1830年(天保元年)に創立された尾田組が行う習わしになっています。仮御殿は松の木で造られ、柱に皮付きの松が使われ、屋根に青松葉が葺かれます。仮御殿は正面を除く、三面の壁は土壁で塞がれます。かつては毎年約1,700本の新しい松の木を使っていたが、現在は10年ぐらい同じ松の木を使っています。仮御殿は形態や規模が若宮神社の本殿とほぼ同じで、間口約3メートル・奥行約2.5メートルの春日造です。仮御殿の前には縁と階が付きます。
*参考・・・若宮神社お旅所(アクセス・見どころ・・・)ホームページ
【春日若宮おん祭稚児流鏑馬 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
若宮神社お旅所(アクセス・見どころ・・・)情報