葛木坐火雷神社・笛吹神社(アクセス・概要・・・)
葛木坐火雷神社・笛吹神社
葛木坐火雷神社・笛吹神社(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。葛木坐火雷神社は主祭神・火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)の神名と竈門炭治郎(かまどたんじろう)を主人公とする「鬼滅の刃(きめつのやいば)」で我妻善逸(あがつまぜんいつ)が編み出した最終奥義「雷の呼吸漆ノ型火雷神」が名前が同じということで注目されています。
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 アクセス・マップ】
場所・・・奈良県葛城市笛吹448
最寄り駅・バス停・・・忍海駅(徒歩約32分)
アクセス路線は次の通りです。
*近畿日本鉄道御所線
路線・時刻表・運賃チェック
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 拝観時間・時間(要確認)】
自由
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 拝観料金・料金(要確認)】
無料
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 歴史・簡単概要】
葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)は旧記に「笛吹連(ふえふきのむらじ(祭祀を代々受け継ぐ持田家の先祖))の祖・櫂子(かじし)は火明命(ほあかりのみこと)の後にして崇神天皇の十年(紀元前88年) 建埴安彦(たけはにやすひこ・武埴安彦命)を討ちて功あり 天皇より天磐笛(あまのいわぶえ)を賞賜(しょうし)せられ笛吹連の名を命ぜられる」と記され、第10代・崇神天皇の時代(紀元前97年~紀元前30年)には既に祀られていたとも言われています。「日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)」によると平安時代前期の852年(仁寿2年)4月に神階・正三位を授かり、「日本三代実録(にほんさんだいじつろく)」によると859年(貞観元年)正月27日に神階・従二位に昇叙したと言われています。平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「大和国忍海郡 葛木坐火雷神社二座」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ・式内社(しきないしゃ))に列され、月次・相嘗(あいなめ)・新嘗(にいなめ)の幣帛(へいはく)を賜りました。平安時代に社勢が衰え、笛吹神社の末社になったと言われています。
笛吹神社(ふえふきじんじゃ)は笛吹連が祀ったとも言われています。本殿背後の古墳は笛吹連の祖・櫂子の父・建多析命(たけたおりのみこと)の墓とも言われています。1874年(明治7年)に末社・火雷社(旧・葛木坐火雷神社)を合祀し、社名を葛木坐火雷神社に改めました。
葛木坐火雷神社は旧・葛木坐火雷神社の祭神・火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)と笛吹神社の祭神・天香山命(あめのかぐやまのみこと)を主祭神として祀り、大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)・高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)・伊古比都幣命(いこひとへのみこと)を配祀しています。
*参考・・・葛木坐火雷神社・笛吹神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ・葛木坐火雷神社・笛吹神社(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 見どころ・文化財】
葛木坐火雷神社の見どころは標高170メートル前後に分布し、奈良県指定天然記念物に指定されるイチイガシです。また平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に「大和の国に、ははかの木を切る封所があり、宮中に献納」と記されているとも言われる波々迦木(ははかのき)も見どころです。更に笛吹連の祖・櫂子の父・建多析命の墓とも言われる古墳も見どころです。
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0745-62-5024(葛木坐火雷神社)
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 おすすめ散策ルート】
葛木坐火雷神社から東側の脇田神社などを散策するのがおすすめです。周辺にあまり観光スポットが多くないことから次のスポットに向かうのもいいかもしれません。
【葛木坐火雷神社・笛吹神社 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】
奈良初詣ランキング
駐車場あり。
*参考・・・葛木坐火雷神社・笛吹神社アクセス